エフ法律事務所の圧倒的にくだらない(笑、事件簿その一

僕は地方の都市の場末で法律事務所を経営している。事務員一人の法律事務所だ。だから圧倒的に小さな法律事務所といえるだろう。あまりお客さんもついていない。その意味では今後も圧倒的に小さな事務所で有り続けるのかもしれない。大家さんが割りといい人でこのビルの下で焼き鳥屋さんをやっていた。僕に稼ぎが悪くて時々家賃を滞納しても少しの時間待ってくれていた。最上階に妻と住んでいて子どもがいなく僕を息子代わりに見立ててくれてるのかもしれないが、とてもいい人だ。圧倒的にいい人と言ってもいい。そんな周囲に囲まれた僕は圧倒的に弁護士才能がないのになぜか止めずに今日まで来ている。時々神様のこと考えたりするけど圧倒的に多い時間は女のことしか考えてない。圧倒的にだめ弁護士といえるだろう。とはいえ人並みに扱った事件も多くなった。誇れる事件なんて圧倒的に少ないけど、ほんの少し読者に紹介したくなった。圧倒的にくだらんから圧倒的に少数だろうけど案外楽しいかもしれない。さて始めよう。

同世代人の対話一

先日昔のボランティア団体の集まりに参加した。事務局をやってくれた校長先生を囲う集いだ。もう八十を越え今年になりガンの手術もされたそうだ。ハイの会というのはその先生の名前の一文字をとり、みんな少し若い男女が先生の言うことはハイハイと聞くという意味で命名した。まぁPTAOBのおじちゃんおばちゃんの集いになってしまった。五年ぶりというのは何かと何かがある。としとつた病気したこと以外に色々ある。

 

1ある女性は一人で車で各県全国制覇した。その人とも話した。どこの県が良かったの?というボクの単純質問に彼女は昔からそうなのだが意味深な言い方をした、それは一杯あって、自分はいろいろ調べ行くので、そこで得た体験を或いは知識を一言では表せない、という。普通の人が言えば少し嫌みだが彼女(茶々で西川ヘレンとも呼ばれた)を知るものは、それがもったいつけていってるわけでないのは分かっている。

犬のモウショ6

僕らが丘の上の廃墟に入ってみてから数ヶ月して何かの話でママとの間でママからあの人気のない家の怖さか不用心さの話が出た。一人では行ってはいけないとの話でであった。以前どこからか寄港した船の水夫が下の港町の飲み屋のホステスと仲良くなり、船を下りて二人で生活を始めた。その時1匹の子犬もついてきたのだそうだ。その話はおばあちゃんから聞いた。二人(と子犬、の生活は取り敢えず順調に行ったが、水夫が当てにしていたホステスの蓄えがそれ程の額でもなく、そしてそのホステスも浮気性な人で(ここの所はおばあちゃんが話してくれた、段々と仲が悪くなりホステスは別の町に出ていった。残された水夫と子犬はホステス名義で借りていた丘の上の家に居座った。それでも水夫は時々は港に出ていって重い荷物を運んだりの隠れアルバイトをして生活をしていたが、ある時ホステスが自分に家賃の請求が来るのを嫌がって腕の強そうな男(これもおばあちゃんは今の恋人と言った、と一緒に来た際、嫉妬もあって刃物沙汰になったそうだ。そんな経緯が繰り広げられたのがあの妹とモウショと僕が一度行った家なのだった。

犬のモウショ15(エンド)

その黒人の水夫が妹にしたことで結局は捕まらなかった。パパもママもモウショが死んだことを器物損壊で告訴することをためらった。ナイフを振りかざしたことは何にかの罪にあたったのだろうがそれも微罪で処理された。何よりも妹は上半身裸にされたいきさつを語ることを拒んだ。僕もそれにしたがった。実際事件を目撃したのは僕ら子どもとモウショだけだったのだし。それは力が足りないということではないと今では思う。モウショが妹を護ろうとしたことを妹がどう感じたかを僕らは守っただけだ。そこにはパパやママも入る余地はなく、おばあちゃんも同じだった。おばあちゃんは両親より少しわかる気がしたけれど。

2

最近読んだ柄谷という人の講演集に子どもは6歳でこの世界の成り立ちを直感的に理解してるのだ、それが小学校に入る直前に凡人となりふつうの大人になる路を歩み出すのだ、という箇所があったけどあの夏の僕ら二人とそして犬のモウショとの最後の際は凡人になる前のほんの一瞬の出来事だった気がする。

モウショが死んでからそれがどう起縁になったか分からないがパパは以前勤めていた建築設計事務所の先輩が独立してその人に呼ばれ東京に帰ることになった。それで僕らもおばあちゃんの引き留めもあったけど戻ることになった。モウショとの二度目の夏も終わる頃だった。妹はおじいちゃんの先代の残した和菓子職人の和菓子の意匠図を左手一つで上手に描けるようになった。その図集も一緒に持って東京に帰って行く。将来、妹の旦那さんと一緒にこの北海道の町のお菓子屋を継ぐのかも知れない。でもそれは相当先の話だ。その頃は犬のモウショの話を誰もしなくなっているかもしれない。この夏の話も忘れられるかも知れない。それはある意味仕方ないだろうなぁと今の僕は思っている。

ギリシャ美術についての一つの試論1

ギリシャ旅行したのはちょうど二年前だつただろうか?デルフイにもアテネから出かけていつた。糸杉の道をだらだらとすぎ深い谷の眺められる場所に出るとデルフイの渓谷が見られた。既に地図上の各建物や神殿、ぶきこ等はほとんど崩れ落ちているのだが、それらの中にあった遺物は一ヶ所の美術館に安置されている。その中に兄弟の像がほぼ原型をとどめてある。孝行な兄弟の像とのことであった。どこにでもある説話かもしれないが儒教的でもある。そのせいか顔も所謂アルカイックスマイルを浮かべてるように感ずる。誰もがその像を見いっていた。

犬のモウショ5

僕らが移り住んでんきた北海道の町は坂の多い港街だった。町の中心のまっすぐな太い道を高く登り、振り返ると水平線が低くみえ、散歩に妹やモウショと出かけた時が夕刻だったりすると綺麗な夕陽が岩の間の海を赤く染めてることもあった。そんなとき妹はモウショの動きを気にしながらもじっと海を眺めていた。モウショもそのときはおとなしくしていた。僕の方からもう帰ろうか、ママも心配するし、と言っていつも帰るのだが一度妹がもう少し昇ろうと言って先に歩いていったことがある。

少し登ると小さなあばら家のような家があった。その時モウショが唸るような声を出した。その後もときた道でなく別な通りを通って帰ったのだけど、モウショが自分の声を出してる感じが僕は耳について離れなかった。妹は気にしてなかったようだけど。

魔都ロンドンの真実に迫る❗(笑)3

河上肇から始めますか。河上が近くのロンドンの墓地に行って持った感想というのは日本の墓地との違いからきたことで、それがわたしには前から引っかかつていました。河上は書く、これらの墓地は最近の死者のものか花に飾られ、今しがた訪れてる様子がありありとしているようだと。その墓碑銘もどうこうして死んでいったお前、あのときのあのしぐさ、可愛かったなお前は!✴俺は忘れないよ、みたいな、それはin loving memory of you という定型で始まるるんだけど、そこには死者と生きてるが如く交流を図ろうとする意志があり、その気持ちはほとんど肉体的レベルにまで踏み込んでいる。死者はそこに骸で眠ってるんだろうけど、そんなの石の棺引き剥がしてでも熱い愛が発信されてる感じを、それを河上さんは書いている。肉体的或いは肉感的? あの世というのは英国国教会にもあるのだろうけど、この無意識の作為みたいな、死者への迫りかた、或いは死んでっても向こうからの照り返しみたいな死生感、その書き方に引っかかていたのです。こんな違いを書いたひと他にいるのかしら🎵そしてその気持ちは夫婦にばかりでない。死んだ娘や息子に対しても同じ情熱なのです。逆に英国のお墓は日本の墓地のようなどこそこ一族の墓では決してない。生きたとき知り合いになれた、その知った人が先に死んでったから建てたお墓なんだと書いている。それはある意味英国人の裸の心性なのかもしれないなと思いつつ、この思いかた死者への接し方は案外いい考え方でないかちょっと勇気付与してくれる考え方でないかなと思った。ぶっちゃけ誰にとつても生きてるうちが華、死んでっても知らぬ子孫に葬られてとぶらわれてどうするのさ、みたいなもんですよ言いたいことは。