良かっ、ですたい。おいどん、西郷。

てなことで早、ロンドン発ち。3日では定番定番で新たなる発見もなし。まぁ又やってるとのマンネリしに来てる訳だけど。でも今回は日曜日も重なり、こちらの現地滞在者の家庭生活が見える優雅そうな家族連れが目立った。大いに引目も感じた。現地快適性はロンドンが一番で東京が三番らしい。東京が四番のパリの上というのは分からないけど、パリは割と好き嫌いあるんだからね。アジアが感じるコスモポリタン性と欧米の人の白人厚遇なアジア滞在とは少し評価基準ちがうんだろな。いつも思うけど日本人ってアジアにも黒人にもすがたかたちに囚われないとこある。黒人のスポーティー能力を尊敬してるとこもある。此方は案外それにシビア、リバプールなんてもろにそれだったしね。東京の歴史ショウシャは悪い面ばかりでもないかとも思うね。考えるとロンドンやパリに比較すると江戸東京は1600年からだから少し歴史は浅いんだろ。1666でロンドン大火事出してるけど、でも東京の人口は当時既に百万越えてまぁ世界という概念なかったけど世界一、すごい活性化した過密都市だった。その名残は今もある。火事と喧嘩は江戸の華というが肩触れたというだけで男は今も身構える。こちらは自分に限って言えばロンドンでは道を譲ってばかりです。東京じゃそんなことしないけど、損だと分かってることはこちらではしない。皿片付けたり、受けることしかしない。(日本人同士の喧嘩というのも昔流行った甘えの構造なのかもね。)外来者はおとなしくするもんだし、そこの境目不鮮明だと衝突するんで江戸っ子飛びっ子だからするわけじゃないとも思うけど。もっと他人をリスペクトセニャネ〰❤いや人間よりかやはりそこの町をリスペクトしないとね。住んでやってるでなく住まわして頂いている。でも中々日本じゃそういう気持ち湧かない。市民はその都市を越えて都市の立体映視違って見えちゃう。よく原因分からないけど。社会的万有引力?オーの~

英語国語論

蛭子能収が英語について書いていた。主としてアメリカ旅行したさいの日本パスポートの煩わしさと英語が話せないことの反省が主な内容だった。蛭子さんによれば日本がアメリカの一州となり日本人が英語を母国語とすれば旅先で英語で苦労することもないのにとか書いていた。その頃蛭子さんはテレビにはあまり出てなかった。賭博容疑で捕まる前の頃だったかなと思う。今ロンドンに来てあんまり英語もしゃべれはしないけどその蛭子能収的立場からすると案外そのドライな説はいい意見だと思えてくる。

日本語捨てるのはそんなに簡単じゃないのかもしれない。かつて日韓併合したときそして其が解けた終戦までの35年間ハングルは禁止され日本語の使用を強制されてたんだろうがそれでも結局元に戻ったんだろう。多分日常生活で使っていればそんなに日本語は失われないのだろう。だとすれば捨てる必要云々する事ないのかなあ…

英語を国語化するメリットは結構ある。英語圏の文化や歴史が全て手にはいることとか。よくシェイクスピアを原語で読める人という表現があるがそういう深い理解が可能となる。英語での科学発表目的は受け入れやすくもなるのだろう。

 

でも最大のメリットというのは今どういう風に英語が使われてるかではなく、英語というのがこれまでの中で世界を征服した唯一の国の言葉であるという歴史性みたいなとこでないだろうか。民族は違えどそこに列なるというようなある種の精神性なんじゃないかという気がする。その安心感で言葉をしゃべる心地よさではないのかな。

最近の自分は日本忌避の傾向があり英語の国語化論に傾いている。

ロンドン探訪

またロンドンに来た。ホテルチェックインしてモリソンに、でも🚲の💡類はなかった。前手にはいったのは特売りだったんだな…夕食後にホテルまで歩いて帰る。真っ直ぐでない道は方向が違う所に連れていき大回りになるってのはわかってるくせにそうする。歩きたいのだ…途中のライティングがよい感じ、家の中では必要な部屋の箇所しか灯りが点ってない⁉

公園も最小限の証明、パブも看板なんて光らせない、


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ここが何世紀前もおんなじだったという幻想がわいてくる
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。実際ロンドンっ子は闇の中では過去に戻りたいのかも知れない。
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世界の平和論

世界の平和の実現というのはどういう風にしたら可能なんだろ🍀今日本は戦争に巻き込まれるという人が多い。北朝鮮が日本の重要拠点に原爆かなにかぶちこんできたら日本全身のうちどこかの機能は回復できない喪失そして復興に莫大な時間を要するであろう。食えなくなった難民が百万人単位で隣国の中国、韓国、そして日本にも押し寄せるだろ☀昔読んだ朝鮮戦争の📗で北朝鮮を応援する中国軍というのは先陣が倒れても雨後のタケノコかなにかのように(キョンシーかもしれない)次々と現れて死んでも死んでも次々と生きた兵隊が戦場に現れて韓国軍はおそれおののいたとかいてあったけどおんなじ様なことが起こるのだろ🍀国家が消滅したあとの国民というのは敗戦直後の満州にいた日本国民や南ベトナム崩壊後のベトナム人みたく糸の切れたタコみたくなる?すべからく戦争は関根めいじんに挑む坂田三吉の王将の歌にあるように何がなんでも勝たねばならないのである。ところでこの勝つというのは勿論国家を上げて戦争することが前提となる。民心が一丸となって戦うのである。俺は戦いたくないよ!好きにやってと言ってもダメなのである…それでは勝てるものも勝てなくなるのである。勝負ごとというのはみんな一緒なのである。心技体がとりそわなければ負けてしまうのである。この中で勿論技術が大事である。性能の良い兵器がなくては普通は勝てない。しかも訓練された名人みたいに操縦する人もいなくてはならない。そう簡単にいるか分からないけれど日本人は下手ではなく手先の器用さもあるのでなんとかなるのだろう。でも大事なのは戦うという闘志とそれを支える心との精神的部分なのである!現代戦争といえども自動運転みたく勝手にAIが計算して合理的先勢したり守ったりできるわけではなく色んな操作をするわけだから当然人間が命令とか支えられて行動するので、当然そこには人間的弱味が生じやすくそれを回避するためには人間同士の交流が必要なのである。現代戦といえども心理的側面が見落としがちだが重要なのである‼誰が見も知らぬヒトのために自分の命捨てるか、そう考えると戦争という手段を録らざるをエナイトキ人々は民心を一つにする動きをとるべきこととなる。これと世界平和の実現とは微妙なところで重なっている。なにも私は日本をマモリマショウトシンプルなこと言いたいのではない‼北朝鮮?が軍事的な異物をぶっつけてきたときそれを排除さすのは軍事を仕掛けたときとしてはやむ終えない戦争なのである。勿論そうならぬように平和時に解決を目指すべきだが其れでもを考えてものもうしてるのである. 

ところで先の大戦で日本が軍事的に敗れ国土が無惨にズタズタにされたのは結局民衆の支えなくして戦争を遂行していたからである.一部かどうか分からぬが民心をミキワメズいわば軍事クーデター的に軍部が戦争遂行していったからであろう。今の安倍一強ドコロデナイ軍隊一強でやったから負けたりぼろぼろ❗にされたのである。というか軍隊は時の民衆の心理をみず自らササエラレテルト誤信して戦争やったから負けたのである。あんなにぼろ負けしたのである.そう考えると何も軍隊のみならず時の権力というのは民衆のこころ民心と離れて戦争したりすればあまり勝たないのではないかと思えてくる。一強だからこの政権は強いからと言ってかてるものではない‥却って選挙で勝ったりして政権基盤が安定しているときこそ危ない。先の軍部の独走とおなじで民心に支えられてるという誤信してるとまずい。一強なのは戦争ゴーサインではない。

以上考えてくると大事なのは戦争やる決心あるなら多数派は少数の反対側と良く話をすべきだということで自分の判断が絶対と思ったりせずに行動することが大事ということだ❗その際にはヘイワトハ何か世界平和はどういう形が望ましいか反対派と特と話し意見調整するのが大師だと私は思う。

野球受容史第一幕の2

学生B「はっはつは。な~にね偶々今度のゼミ生の名簿にこれはという人物を見つけたのだよ」

宮部「ゼミというと我々の植物の類分類のゼミかね。そういえば君は私から本年度入学の学生のなかでのゼミ志望者の名簿を借りていったな」

学生B「そうですとも。そのなかに偶々馬具屋のせがれというのがいた。名前は⭕木といったかな。其を見て閃いたんだ」

学生A「それが今回あの旭川までの道の美唄まで行って入っていったお店の息子さんかい」

学生B「うんそうとも。馬具には当然革がある。皮といっても厚手のものではない。でもそれを重ね合わせるとミット位できるのではなかろうか。そう思ってゼミ生に連絡をした、これこれこういう事情でこういう形のものを欲しいとね。」

学生A「それでその彼は親に連絡してくれた。」

学生B「上手いことにそうなった」

学生A「それにしてもおやじさんは随分君に丁重だったね」

学生B「それは宮部先生のお名前(ここまで言って口をおさえる)」

宮部「おいおいミット一つで我がゼミを軽んずるようなことをしては困るよ(と言いながらあまり咎めない口調で)それにしてもこのミットは良くできている。(とキャッチミットをポンポンと叩く)コードバンでは柔らかすぎやしないかと思ったがどうしてどんなスピードボールでも捕球していたくなる恐れはない」 

学生A「北海道中の名人が集まり野球具を作ってくれればこれで本州勢とも対抗できます。一高にだって道具の点では比毛をとらない。」

 

その時研究室のドアにノックの音がして扉を開け佐藤昌介学長が部屋に入ってくる。

 

宮部「おっこれはこれは総長。学生たちがつい大きな声を出しすぎまして」

佐藤「いやいいよいいよ。私もあるいててバット十勝ミットとかの話し声聞こえたのでね、まぁ研究の途中でもあるはまいとつい声をかけようとおもったまでだ」

息子の帰還2-3

彼の当時の気持ち、それをそう簡単に推し量れはできないのだけれど、その時に彼から聞いた言葉は思い出す。それは彼が労働者として働いているこの資本主義の根本的理解は、ある者は金をある者は労働と使役をある者は土地を持ち寄りお互いに足らぬ所をタイルの様に貼り詰めているのが企業であって自分が唯一提供できるドライバーとしての力を出しているのだから物々交換ではないにしてしても、それの対価に見合う物を他者は支払ったり出したりするものであって、それ等持ち出すものは違ってもその間には優劣も上下もないのだというそんなものであり、ソレは良くわからかったけど原始共産主義みたいなのの近代バージョンなんだろうかなと理解できたし、更にそれから彼は対価を支払わぬ者は不正であり正義に反すると道徳的な価値観に持って行きさえしたと思う。ただソレは彼の生き方の前提としてあるものであってソレを守るための考え方であった気がする。その守られると思った生活とは、その価値観からすると、受け売りだけど、コンフォードが「ソクラテス以前以後」で書いたように「かれの意志を支配し、かれの個性をねじ曲げる権利を主張するあらゆる社会集団(親や先生も含まれる)から個人格としての自己を切り離すことは人生において決定的な重要性をもっている」そういう生活であり、僕ら間には特に自分にあっては高卒でしかない彼を自分はソクラテスを求める青年であるかのように、ある親近感を感じたしそこから自ずと親しくもなって行ったと今振り返ると思う。出逢ったその夏に四日間ほど二人はボクの車で旅に出かけた。彼との因縁はこうして始まった。