安倍改憲

嘗て三島氏の市ヶ谷突入にあっては激に自衛隊が現憲法下では存在が認知されておらず、謂わば私生児のような扱いでその存在を否定するその現憲法を力でもって変えようとする自分らに賛同し決起するものが自衛隊員の中に居ないのかとの呼びかけがあり、あのバルコニーでも彼は叫んだ。しかるにその自衛隊員の反応は冷やかなものであった。そこにこそ問題がある。今回の安倍改憲は私生児を認知しようとするものである。そこにも問題がある。三島由紀夫楯の会自衛隊員と共に訓練し(今ではそんな事出来はしないが、当時はおおらかだった、自衛隊員というものがジュンボク純粋で国を護るという使命をあからさまに忠実に行おうとしている姿勢に打たれた。そのような感覚を保った。それが激の中にもあった、楯の会父親のような自衛隊に育てられた子どものようなものでという感想なのだろう。 ここでの理解は自衛隊員というものを職業的に扱うのか、もっと国体護持のように扱うのかという感触の問題でやはりソレは天皇の存在、そのあり方と絡む。市ヶ谷の反応の冷ややかさは冷静に国務防衛の感覚なのだろうかな?寧ろその仕事を離れれば国家とは何時でも決別する感覚なのかもしれない。[以下続く、