レヴィナスの個別性について

全体性と無限というがレヴィナスにとっては個別な有限性しか関心はないのであろう。目の前にアウシュヴイッツの無意味な死が或いはそれにも似た現代での意味のない死が待ち受ける状況では有限の時間性のなかで如何に他人と関わるかが実践的に問題となるのだろう。ある意味神の代わりに他人の神になることすら許されるというべきなのかもしれん。それがモウショの一つの主題でもある。