特攻隊の死について3

特攻隊の方の死があって日本は勝ったとしたならそれは万歳であろうが、しかしその時特攻隊の死はさほど高く評価はされないし個々人がどうであったかに想いを馳せる日本人は少なかったろう。日本は敗戦したからこそ特攻隊が英雄視されてるのであってそれは結果としての悲劇から判断を受けた評価なのである。その行為の時点での英雄的な扱いの部分が決してないとは言わない。しかし負けたればこそある人達は彼らの行為を賞賛し、英雄視し、軍神とも持て囃すのである。そこにこそ日本人の持つ偽善的な部分がある。歴史観としての右左的な見方の表面的相違というのもその両者が同じ偽善的な視線の上に立っている点では共通しているのである。右が敗戦からの詠嘆的賛美を特攻隊に加えるのも、左が敗戦の事実を踏まえれば特攻隊の行為など無だと評価するのも、要は純粋にその行動トイウモノヲ自己完結的には判断を下し得ない所から来ているのである。右左、結果バッドを認めるか否かでしかないのである。