三島vs福田1

福田恆存先生の子どもが親のことを書いている。その本を自分が読む関心は晩年の恆存を知らないことと、やはり最大関心は三島由紀夫事件前後の宿命的ライバルだった両氏があの時日本をどう思って眺めてたのか、そこには双方相当程度西洋文学の本質をこなしてたいたもの同士少しの違いでも西洋vs日本受容の(当時限定とはいえ、相貌が見え隠れしないかというものであって、今や此をなす必要もないかのごとく日本優越でも日本憂鬱でもいいけど軽々と先のさらに先の議論をしている人たちに、ちょっと待った!を言いたい気持ちを込める部分、それが今の時代に多少逆行するもよし、なのかしらと思って読む関心なのです。さっそく三島が福田に言った「あんたは暗渠で西洋に通じてる」から戦闘開始モードで(この部分スタートは息子さん冴えてる)、それに対して恆存プラス逸さんとで晩年恆存が書き残したり、丸めて棄てた原稿(当時もう恆存先生は脳梗塞下にあったらしいけど家族であるからそうしたものでも持っている。しかしそうした紙くずを文字通り拾い読みするもので直接的言辞はなく、この部分論理的な推理箇所で中々読ませる所である)を拾い三島由紀夫こそ「あんたは暗渠で日本に通じてる」か「あんたこそ暗渠で西洋に通じてる」の恆存先生が言いたかったのはどっち!の二つ文章解釈を恆存死してのち、時間を置いて家族問答に移る。この現代性は福田側の方が死後評価が高いことと関連している。最早三島さんがわは劣勢なのだろう。しかし其にしても、この「暗渠」という言葉、正にあの時代の知識人への網的な言葉だったんだなと思うし今やそういう網言葉はもう使わない使えないのだろう✨その今時の堂々とした西洋文明との自己距離感が一体いつの間に出てきたのだろうと思う。