村田英雄の死ののちに

今日村田英雄おっちゃんの記念館に行ってきた。予想外に寂しい気持ちになった。現役でないしだからそれ程の大きさでもない。佐賀といえど唐津に近い場所、唐津市相知町にある。建物の趣から分かるけど元佐賀銀行の支店だったとこ。二百円入場料払って中に入って僕しかいなかった。グッズがあればと思ったけどそんなにない。切手セットがあったけど使い途がはっきり見えなかった。オレが村田だ人形でもあれば安んじて買っただろう〜

村田英雄さんはお母さんが浪曲の三味線師だったらしい。お父さんは人間だけど名前ははっきりしていないらしい。そのお母さんに抱かれた英雄坊や(本名は違うらしいけど、の写真がある。そしてその解説にお母さんは十分育てられないので姉弟子の何とかさんに英坊を託したとある。それだけで十分悲しそうなのに、そのお母さんが何年何月何日に水死したとある。村田英雄は両親の愛に恵まれなかったのを強く印象付ける太字サインペンでそこに書き込まれてる。相当悲しくなる。その子が少年浪曲師として刻苦べん例成功者になるまでの写真が自然となみだぐましく感じられる。あの笑顔の向こうに肩を丸めた父母の愛を知らない子どもの後ろ姿、成功してもどんなに成功しても浮かんでくる気がしだす。でもそれは現代の感覚で昔はそんなのざらだったから強く生きるのは普通だったかもしれない。唯一仕事以外の事で恵まれたのは嫁さんに恵まれた事だったと思えたけどそれも喜び悲しみの一つにすぎないのかもしれない。でもその人も村田さんの死より先になくなっている。お孫さんがいたのだから子どももいたのだろうからそれが生きがいかなとちょっと安心する。

村田英雄はあまり感情を乗せて歌わない。でもそこも相当いいんじゃないかなぁあの野太い声一本にかけてるとこが。吹けばトブような何か、多分それは歌の道、それに命を賭けた、そして賭けてばかりでなく努力して努力して遂には成功した(最初は無法松の一生~確かに一生だなんて題名に相応しくない~だって人生劇場だってヒットせず、王将の大ヒットでそれらの歌が見直されたらしい!のだから心底偉い人なんだと思いつつ館を後にしようとしたら係員がどちらからですかと聞くので遠い方がいいのかと思って東京から来たんだけど北海道と言ってしまった。もっとグッズ充実して欲しいとも少し言いたかったのだけど。

相知駅までの間王将の歌詞をみちづれのメロディで口づさみつつ帰った。