チベット論3

チベットというのは今から振り返ると宗教国家だったしラサは聖地の一つでなんとか大神院みたいな所では五体とうちするチベットピーポーが沢山いる宗教都市だった。イスラムのイランみたいな所かも知れない。ピーポーらの心の中には宗教感情が飽満しチベット仏教がその生活に占める割合は80パーを越えていると思う。その宗教源義は死後の世界の構築であり、それから逆照射されての現世生活だった。生きることは将来的な死後の生活のためにある。ある意味とてもまともで敬虔な気もするが、おい待てそれだけが生きるの意味合いと突っ込みたくもなる。現にチベットピーポーの都市でのルックスはチベットが西藏という位だから西部の荒野、荒野の西部そのカウボーイみたいな所があった。なんかウェスタンなんだチベットって✨まぁ土地柄アジアの西部ってところもあるしね⁉身体もでっかいし🎵そこで繰り広げられている西部劇ってのは今のよでいうと鎖国ということなんですね☀鎖国か開国かみたいなとこあった。