チベット論4

チベットが国家として独立を志向した時、敵は中国であった。毛沢東らとダライ・ラマとの会談があったと案内人も言っていた。話し合いでは解決できずチベット侵攻の形になったのであろう。中国にしてみると過去の歴史からして宗教集団が厄介なものと承知していただろう。でもチベットにあるゴビとかの核実験もしうる無人の荒野はメリットもあったのではなかろうか。近くの危険な因子を抑えたいというのは当時の軍事力と革命中国の発展膨張主義からすれば当然のことだった。しかし当時から時間を経た現在の時点からみると今やその軍事的制圧は上記メリットという当時の価値観だけではなく、振り返れば、文明一般の侵攻という側面を帯びていたのであり、中国という国家はその文明の尖兵に過ぎなかった。そしてこれまでの間全くチベットは文化国家として自らの運命を切り開いて来なかったとみうるのではないだろうか。この21世紀においては遅れスリーピングしている地帯のチベットは国家として改造を終えつつある先端文明国の中国と政治以外に対立軸をもたず、それは国家として対立では最早ない。文明の対立であり、先進国と後進国の植民地支配の原形要素があるにはあるが、既に勝敗は決している。仮にチベットは今後独立国家としての承認を取り付けたとしても早晩その後進性故に国としては行き詰まってしまう危険性が感ぜられる。これは江戸末期から明治にかけての日本の後進性が直面した欧米列強との国家間格差と甚だ似ているのである。あの時の日本というのは韓国併合の時の韓国と同じであり、そして今の中国に併合されたチベットと同じ立場だ。そしてそういう時にこそ天皇制というその国家の眠っていた国家基本性格が現れるてくるのだとおもう。其はチベットの場合にはチベット仏教であり、ダライ・ラマであったりとの違いでしかない。