昭和天皇の武士性について2

三島さんの東大全共闘との討論記録に、まず君たちは天皇と口にすべきだ、それでないと闘争は勝てない、との分析的注文があるのだが、これは要するに天皇をくっ付けたほうが維新の時だってなんだって民衆が味方するというフランスにだってあっただろう王党派のフランスなんかとは違う日本流解釈をしてる訳だけど、それが常に錦の御旗になるにして、同じ討論の一部に古事記を持ち出してきて天皇制の分析もしている。従来、特に戦後に始まった儒教天皇について非常に不満である、古事記のなかでヤマトタケル父親がめかけにしようとした女を兄貴のなんとかいうのが取っちゃったのでそれを怒ってその兄貴を八つ裂きにばらしてその屍体を父天皇の所に持ってくる。それを見て父天皇は驚いて穏やかさのないヤマトタケルは危険人物として遠征を命じる、それでヤマトタケル伊勢神宮かいって弟橘媛かに嘆く、ここが大事だというわけ、その理由というのはこの猛々しさも一つの天皇の属性であって、それに焦点あてて(少なくとも目配せして、古事記というのは書かれている。そこを天皇を論じる時飛ばすわけにはいかないんだというている。これは日本の歴史或いは天皇アポロン的に解釈するかディオニソス的に解釈するかということとも絡んでその主役でもある天皇がそうした武士的、或いは武神的要素も持っていたのか、少なくとも戦争の時死んでいった兵隊さんらはただ単に神様神様と思ってただけでなく、武勲を立てるんべく勇んでいる自分達を叱咤激励する軍神は武の神様でもあると確信してたかそれ故に死ねたのかに絡む訳ですよ。そうでなければ死ねないはずだという問題があるんだよね。