文豪の晩年

やはり息子さんとして福田恆存の晩年をこういう形で記すことは賛成しえない。恐らくは今のエピゴーネン保守への面当てなんだろうとも思うが。これがしかもさほどの個人的な慨嘆なくして記されたことはやはりありうべきでないだろ。文豪は三島さんにしても江藤淳にしても福田恆存にしても野坂さんも武田泰淳さんにしてもその晩年は悲惨である。比較的ましなのが中村光夫であり吉本であり小林秀雄なんだろか。どこかに書いたけど才能というものはそれを所有するものにとり生きてく際の逃げ道というものでしかないとこある。晩年にその逃げ道を失うような今回のような脳梗塞とかそういう予期しなかった事態が発生すればもう彼にとって逃げ道はない。その意味でその悲惨さを記すべきでなかったのではと思う。