息子の帰還2-3

彼の当時の気持ち、それをそう簡単に推し量れはできないのだけれど、その時に彼から聞いた言葉は思い出す。それは彼が労働者として働いているこの資本主義の根本的理解は、ある者は金をある者は労働と使役をある者は土地を持ち寄りお互いに足らぬ所をタイルの様に貼り詰めているのが企業であって自分が唯一提供できるドライバーとしての力を出しているのだから物々交換ではないにしてしても、それの対価に見合う物を他者は支払ったり出したりするものであって、それ等持ち出すものは違ってもその間には優劣も上下もないのだというそんなものであり、ソレは良くわからかったけど原始共産主義みたいなのの近代バージョンなんだろうかなと理解できたし、更にそれから彼は対価を支払わぬ者は不正であり正義に反すると道徳的な価値観に持って行きさえしたと思う。ただソレは彼の生き方の前提としてあるものであってソレを守るための考え方であった気がする。その守られると思った生活とは、その価値観からすると、受け売りだけど、コンフォードが「ソクラテス以前以後」で書いたように「かれの意志を支配し、かれの個性をねじ曲げる権利を主張するあらゆる社会集団(親や先生も含まれる)から個人格としての自己を切り離すことは人生において決定的な重要性をもっている」そういう生活であり、僕ら間には特に自分にあっては高卒でしかない彼を自分はソクラテスを求める青年であるかのように、ある親近感を感じたしそこから自ずと親しくもなって行ったと今振り返ると思う。出逢ったその夏に四日間ほど二人はボクの車で旅に出かけた。彼との因縁はこうして始まった。