戦略と言い訳

誰しも自分の才能の限界に怯えてる。いつになっても勝てないのはつらい。頭が下がりっぱなしなのは嫌だ。特に男はそうだろう。私失敗しないですからなんて一部の人で私たちは見比べるとあの人には勝てない人々に周囲を包囲されてる。現実のありのままだったその過去を振り返ろう、父にあって(義父にあっても)自分に欠けるものは何だったのか。その一瞥だけでも随分違う。振り返るとそれは昔の人である父や義父は作戦をもって生きていたんだなという感じだ、世の中のことに当たるに戦略を持っていたということだ。彼らだけが特殊だったのだろうか。いやそんなことはあるまい。多くの昔の人はそうしてた。彼らは分かってる。自分の意見がある。其を相手に吐くのは簡単だ。単純な対応なんてどれでも誰でもできる。しかしそれでは薄っぺらな反応でしかない。計略なき報復でしかない。それでいい場合もあるが、それでは相手にリアクションしただけで相手めがけて何かした事にはならない。自分の心の中でも切り返せてない。そこで考える。どうこれを言い訳のようにではなく、単純反応でなく、持ってけるか。ごく短い時間に頭を回らせる。そしてこの切り口だと思ったらそう思えたらそこから突く。それは戦略という一言で言いきれるものではないが、でも何も考えないでやるよりは相当いい。何と何が比較していいかというとよくはっきりしないが、でもそうした戦略的に自分は生きているというのは相当に自分としては増しな部分がある。現に彼らはそうしてきたし、だから彼らはすごい人だと周囲に思わせる。中2の子供を身震いさせて叱責した副担任がいる。それは戦略無くて怒った人だ。当たり前の反応をした人だ。ヤフーの意見でハイハイこれと一丁前に意見を👍狙いに書く人もいる。それも単なるリアクションが最高だとおもぅてそうしてるだけで何の戦略も感じられない。自分もそんなことをやっている。やってばかりいる。そうだな〰❤バスカルの考える葦という、その考えるという中味はきっと戦略なんだと思うねぇ~我々は戦略家になるべきである。