張家界に来てみると

武リョウゲンと張家界って同じものなの?の問いの前に日本での認知では張家界に行くこと自体があまり特化されていないらしい(でも最近NHKとかで広まってるとかも)。現地配布の添乗員レポートにもこれ張家界のお土産よ!と言っても、はぁ?とされるのがオチ、張家界土産でなく中国土産を買って帰りな✨と忠告されてる位。

しかしここ張家界はこれまで中国世界遺産数々歩いたけどキュウサイコウやコウザンなんかより更にはケイリンなんかより凄い凄い世界遺産だと私は思う。それは来てみなくては分からない。でもこんなのあるよが二十世紀の後半までまったく知られてなかったのだ。だから世界遺産の登録も遅れた。1980年頃かな?そうだとすると同じ湖南省生まれの毛沢東だって知らないで死んでいったかもしれないしな✨

 

そんなに遅れたのは何故か?

 

それは此処は少数民族のエリアで少数民族の口コミではその凄さ伝わってただろうけど、それは漢ジンには伝わらなかったからでないかなと私は思う。漢民族がこんなエリアまで入ってくることもなかったのでは?それで内容はアバターの撮影場所にもなったから詳細省くけど、今回のツアーでは飛行機で武漢まで飛んでそこから新幹線で湖南省のチョウサに一時間20分、そこから五時間バスで張家界に着くんだけど、その武漢から湖北省のガイドがついたの。多分漢人。ソノヒトニ聞きました。何で張家って家という文字入ってるの?彼は言った「それはむずかしい問題ですね☀」後で旅行の帰り道に現地生まれの女性ガイドが乗ってきたので聞くとさすがに答えれた。ここは張という名前の家族が多かったので張家の人たちのエリア(界)になったそうだ。いつも本質的疑問?を投げ掛ける自分でありたいと思った。それで自分的に第二の矢の質問があったけどこれは発せられずに終わった。

其はこんな山岳エリアで人入未踏の高峰が連なるこの地なら山岳信仰や伝説説話の類いが当然あると思うんだけどそういう日本風の物、物語知りたいという所。でも雰囲気としてはそんなもん無い感じがした。まぁそういう遠野物語系なのどこにでもあると思ってはいけないのかもしれない。