馬琴〜露伴の水脈

田舎者なりしゆえ(明治開闢からこの方ばかりでなく昭和中旬に上京なりし立場も含め、)江戸文化を引き継ぐ東京、特に戦後東京、更には平成の御代の今日、様々の東京スタイルがあった訳だが、そのいずれにも馴染めぬ、自身の立場に付き、川村二郎が解読するところの、粋通訳知りの文化とは、遊廓の間から拡散した害毒的表面上のものであって、それすら理解出来ぬ、薩長土の野蛮は論外として、そのコアの部分には「俗に背いて独り往く」馬琴がおり、それに連なる露伴があったと、いうのは、対立構造としては頗る興味を引く。粋とか通とか訳知りとかは所詮ポップカルチャーであって、そうではないそうとは違うもの、多分それは徳川側300年の武士文化の賜物なんだろうが、それを今も誰かが承継している。しかしソレもあるいは、粋通訳知りのレベルまで堕ちることもあったりする。これって中々難しいものだな、と又露伴さんなどは、恐らく京都と対峙させて自らを律してたものとも思われて、日本文化の複数性を教えられる気がする。ところで、一体誰が粋通訳知り外で日本で活躍してるのだろうか?