小室哲哉小室圭小室等

かつて木村庄三郎でないところの木村尚三郎先生がご活躍なとき、木村先生はtrfが華やかに小室哲哉の作曲家としてのサウンド彼の作る音楽でこの世を充ち満ちさせてたのを概察し、彼の音楽には死の匂いがすると、えらい嗅覚を御示し申された。当時はむぅ何?でしかなかった。さて木村先生もなくなり、先日の会見を見聞きするに及び、不倫‥不能‥介護とふとふ、あらゆる人生の悲惨が飛散されんの目の当たりした上での感想というのは一概にいえない。そこには勝者でない人がいたが、そうかと言って敗者では決してない、時間は遅れたが陰画が見えてきただけのような気がする。小室圭様にしても、生母あさまに足引っ張られる気配ありだが、どうも何かを狙って失敗したとも思えない。小室等は武満と仲が良かったのだそうだが、これも意外感がある。誇らしさというのは、そう簡単ではない。守って守りきれるものではないというのが現代の特徴だ。守りきろうとするのは誰しもするだろうがそれができない。

ある意味で勝者と見えた人には暗い過去があるという単純なことなんだろうが、今というこの時代、それがバレてしまうのが時代の特徴なのか?とも思うが、そう簡単でもない。要するに、凝視される時代?でもそれだけでもない。人が他人の中に悪を見ようとする時代?それも少し違う。寧ろ嗅覚繁栄の時代なのか。少なくとも善意の時代は終わり、犬のように嗅覚を持ってる人がみちているのは確かかもしれない。