日本の文化受容のある種のパターン

自分は無添加食品を拡めよう、のグループFBに入ってる(自分から発信したことはない)ので、英国でもドイツでもその種のお店によったりする。結構凄いとこもある。種種も手広い、歴史もある、食哲学の徹底など特にドイツなんかでは感じる。一言持ってる人も多数いそうな気がする。コッチは無理論だからそういう取り揃えの隅っこを齧れれば上等だと思いつつ、その日本のFB見てると、所々教条主義みたく感ずるのだけど、でもその中にそれぞれが固くこれだと、例えば添加物排除にしても、単純に決めてけるのだけど、それが次々とコレがいいコレがいいと引っ張り出してくる。それが間違ってるとはいえない。というか、こんなに信念として己と食品との間で弁別作業をするというのは、欧米から全て食べ物が入ってる訳ではないのに、この小さな国で、相当な熱情だと思う。誰かが、仮に添加物が入っててもそんなに寿命に影響しないと研究結果発表しても恐らくその強い信念は揺るがない。彼らの魂を揺らすことはできない。そしてふと思う、こうした信念とか情熱なくして、西洋の考え方は日本人の心の中に入ってこなかったのではないか、ある種の教条主義がなければ日本は文化受容ができないのではないのかな、と。いやいやそれは凄いことである。みんなその種の信徒になるのだから。