ゼロリセットというヨガ原点

今日のテレビで普段はどうかな外人?クラスと思っていたモーリーというコメンテーターが自分もヨガを1980年代からやっているという経験から例の林大臣が通ってたというヨガスタジオに少し異議を申し立てていた。怪しげ方面のコメントはともかく、最後のリラックスマッサージというのが彼としてはとても違和感があるというのだ。彼によるとヨガを一連に行った最後には開放した自律神経を休める為に「死体の投地」といって何もしないで、全部を休める、頭はALPHA状態に保ったままにしつつ身体を完全に癒やし、そうした状態で細胞を活性化するものなのだという。それがヨガをする意義で、ソコに第三者が手に触れたりするのはそれまでの業を一挙に後戻りさせてしまう。そんな事は決してやってはいけないことなのだそうだ。彼はソノ開放した状態で休まることを「ある種のゼロ状態」と呼んでいて無とは言わなかった。それ聞いてこれってなんか己を無にするというのとなんか違うんだろうなとインド帰りの私には思えた。例のあれ、ゼロ認識ゼロの発見、いわば数学のゼロ、生活のゼロ、に続く身体のゼロというやつかなと。なる程な、インドはなんやかんや人間にとってゼロを突き付けてくる国なんだとそれを気付かせたこの人少し見直した。顔もそのせいかインドの血が混入ってるような気もする。やはり根本的に日本とインドとは違う。日本に足らないものがある気がする。