庶民の微分力

歴史的会談としてシンガポール合意がなされたようであり、詳細は判明していないが危機にたいして備えがどうなるとか、変わっていくとか取り沙汰されている。記者会見が行われても、要は両首脳のキャラクター交じりで分析がなされるんだろう。こうした場面で学問のある人は、隅のすみまで微細に判断したがる。でも例えば義父だった人なんかは案外鋭く両者のキャラや力量を読みといて、結構当たらず遠からずな事を口にする。それは世界的規模の人も昨日あった客や庶民も何ら変わらない行動をとるものだというスケールで二者関係を捉えうる力があるからだ。どっちが勝ちどっちがへこたれなかっかった。実質表面を一つのピンで射止める才覚がある。またそれしかない。物事を頭でっかちは微分法でできるだけ近似値を得ようとするが其よりも早く素早く事柄の本質を見抜く。それは最初からこの人と自分とがあったらどうなるだろと詰めて考えているからなんだろ。背伸びしない、等身大に大統領とか首脳を思えるのだろう。うらやましい。安倍首相の一連の件にしても、知識人はとんでもない人格とそしる。しかし彼らは友人に便宜計ったのはいかがかと思いつつも、金でないコネなんて世間一般どこにでも転がってるケースだと思ってる。別の面で評価できればその程度とはまぁありかなとも思う。そうした庶民意識、本筋捉え方法は先の大戦で大失敗をしたのだろう。しかしそんなことはなんのモノカワ同じ過ちでも自分の人間把握術は捨て去らない。そしてその人なりの真相への微分法は答えが粗雑でも概ね中っているものなのだ。そうした庶民に日本は支えられている。学問のある人など非力な凡庸な人なのであるというのは正しいのである。