妾の生涯参

彼女が自分の父へ起こした裁判がどの程度彼の心痛を高めたものかは、多分些少のものでなかったかと思う程度であるが、それでも今その記録を読み返すと彼女の興奮が死んだのちもよみがえってくる思いはする。些少と評価されるのは、その裁判の告知が父に届いたのは家庭裁判所からで、地方裁判所からでなく、それ故一体誰がこの自分を被告に祭り上げたのかは、見知らない第三者(父親はそれなりに多くの敵を用い、恨みを買う人物であったというのが彼女から聞いた評価だった)ではなく、家庭内の誰か、あるとすれば彼女と俄に判定され、今度はまた何を言ってきた、と身構える余裕を与えただろうと想定されるからである。彼女の方では父親は社会的に抹殺されるべきで、そう思う人間は周囲にたくさんいてその内の自分は一人であることを、何らかの形で一般事件として伝えたかったんだろうが、その意図は必ずしも成就されていなかった。