国家と国民の男性性と女性性について

イザベラバードの朝鮮紀行をかじると十九世紀末の事情ではあるにしても朝鮮の未来を暗示してるところがある。そのターニングポイントが日清戦争のころではないかなと推測させる。どんなターニングになったと言うと朝鮮からみた宗主国の中国が敗れ去るところ、日本が浮かび上がって来るわけだけど決してそれは日本を認めるということにはならない。敗れてもまだ中国に従っていたいという国家意思、国民性があるというところである。青春小説風に言うと、お前あんな弱い奴と付き合わないでさ、強い俺と付き合えよ!と言っても、い~えわたしは中国君好きなの!とリフされる時である。そんなにお前中国君すきなのか、俺だって良いところあるぞ、と強引にシソ改正したってダメなのである。強姦的に併合なんてしたってかえって嫌われるだけであるぞ。そんな朝鮮という国家(仮にあるとしたら)は又その国民性というのはすこぶる女性的なのじゃないかと思った。昔好きだった人は一生忘れられない人たちなのである。全面的にこう考えると幾つかの事が裏付けられる。約束ごとを簡単に破る、慰安婦などの被害届が徴用工より先に来るし説得力あると思ってる、中国からなんかお前なんか要らないよと言われると急に寂しくなってなびく、こういう男性国家の戦争しあった男子国家の日本と中国の狭間にキーセン的伎芸の国として極めて現在では希な女性的国として北朝鮮と韓国はあるのだ。これまでの北朝鮮のホラを含めた脅しの文句すらあれは女断末魔の叫びのように聞こえてくる。耳のせいかな🍀

1950年代という時季

家に戻り、雑誌の中で江藤淳の追悼対談を柄谷行人と福田順也?がやっていて江藤から九歳くらい若い柄谷が江藤評価併せて吉本隆明評価を専ら1950年代の著作や思想展開を最大値とする思いの表白にある意味心打たれた。三島さんにしても50年代が華だったのかもしれない。あの時に何があったのか、楽しい少年時代でしかなかったワタシには分からないけど、でもそれ以降の落ちぶれ感からすると、生きるのが楽でしょうがなかったという思いが強い。なぜなんだろな~

人間が一ミリ動くスピードはみんな同じで、でもその共通性の中で、誰かがぽーん時に飛ぶように動く。運命はその人に与えられるものだけど、それが誰に与えられるかは才能の問題というより、懸賞金に当たるようなもの。その後のバブルの時と同じで、使い捨てで無い人間が、救われるのは何か時代の手で引っ張られるようなもの、それらが明日を楽しませ、革命でもないが精神的自由を齎していた。今はどうなんだ。小うるさくなってきた、大モノももういない。振り返るとあの時代、同じように粒の友達というのがいた気がする。それが気がかりで支えとなってなんか自分だけの行動でもみんなでやってる気になれた。坂本九の歌の中にだって友達というのがあったしね。社会的友達、ダイジなんだろうかな〰❤

ある株主総会三

彼が自分の中でどう思ってたか分からない。或いは自分は気難しい性格で些細なことにもこだわり、人とは打ち解けずらい性格の持ち主と思ってたかもしれないのだが(ある意味そういう要素も窺われたが)しかし彼が他人に接するときはにこやかな笑い顔を浮かべ、決して何かを隠さず、また他人の意見や意思にも反せず、まっすぐに自分と接してるんだなと思わせる感じがした。彼にとって難題のような言葉を誰かが発したとき、一瞬きょとんとする顔になるが、すぐに元の笑い顔をして、その意味は自分ではこういう良い意味として受け取ってます、という応対をした。この性格は先代の社長とは大きく異なり、先代が亡くなってから彼が社長になって以降、已然にもましてその食品会社の業績は上向いた。労働組合があって古手の専従の組合員もいたが、彼が社長になってから、何かやりにくいんだよな、と周囲にも漏らし、それだけ彼が社長として以前からの労使の関係をある時は強くある時は時間をかけて放置するなどして巧みに問題点を解消していくことに、回りからも以前の社長とは違うという期待が上がっていた。そんな彼が私のことも気にかけ遠い土地とはいえさほど難役とも言えない監査役のポストを斡旋してくれるのは経済的なものばかりでない私との繋がりを重視してくれているようで今回の出張は列車に乗る前から私の心のなかに弾むものがあった。

三浦瑠璃のアホすけ

トランプ台風が通過して韓国に上陸したあとになって、その台風被害が報道されるなか三浦瑠璃がブログのなかで今回の武器の押し売り(日本は勝手にアメリカ国内の武器乱射の度に火武器かを自分らより劣った国をみるかのように声高するのに)を肯定もし安倍とゃん苦渋の決断みたいに誉めこそすれ決して国益に反してないと擁護し、かつ安倍がトランプにとり忘れられない存在感がある化のように幻想振り撒く表現を使って、安倍さんのやることはみんなの国益に合致すると述べた。森ランマル見たいな女だ。三浦瑠璃は討論の時相手を見るとき一端眼を伏せ下から見上げるような微かな眼を作りいつも辛辣なことをおしゃべる。特に相手が女の時は、女しか分からない対抗心でもあるのか小馬鹿にする風のニヤを口元に、ふんを鼻先に浮かべる。三浦瑠璃から東大帰属、美貌を取り去ればそこら辺の誰とも変わらぬ一論客でしかない。自分がある分野で肯定的評価感じとるのは生きてくために(何となく講演料利権があるのだろうから)必要だろう。でもだからああいうトランプだから日本、集団的自衛権通しておいて良かったねは、何となく論理の破綻の前触れのような気がする。一対一ではとても勝てる相手でないからここでドナルど、三浦瑠璃のアホすけ!ついでに言うと娘イバンカというのはイヴァンカと書くのが正しいのではないか?そう書かないのはイヴァンカではイワンのバカ!連想させるからかな?アホにしてもバカにしてもある守備範囲で動く女しかいないのは男にとって不幸だと思う。

ある株主総会二

駅には食品側の若社長が出迎えにきていた。彼は軽く笑顔で会釈をしたあと一通りのこれからの段取りを説明をそてくれた。総会は午後2時からを予定していた。少し空き時間があるので二人で駅近くの和食屋で昼飯をとった。座敷にくつろぐと多弁になりこれからのことは全く心配ないと議事進行以外のことを話しはじめた。「おかあさん(相手の不動産会社の現社長をこう呼んだ)ももう昔の事は言わないと思います。先代の先生とのわだかまりは綺麗に解けてますよ。却って頼もしい人が監査役に就いてくれると私にはいったくらいです。」彼は私のこだわりが無用だと説明をしてくれた。私の中にはそれまで自分の父と相手先の会社との関係でしっくりしないものが感じられていた。それを彼はわかっていたので事前に話してきたのであろう。そんな簡単に変えられるものかなと思いつつ、一方で随分強引に役員に私をねじ込む、その一種の豪腕に、彼の言った頼もしさというのは自分に向けた言葉のような感じを抱いた。全体として昔から今へ一つの時代は町単位或いは人単位でも変わって行ってるのであって、そうした変化を若い彼には機敏に感じとるセンサーがあって、更にそれに圧をかけ自分の思う方向に引っ張って行く力強さがあるのかもしれなかった。それは初めて彼に懐いた私の感情だった。

ある株主総会一

それは数年前のことだ。その総会に私は招かれた。北海道道央の中都市にあった食品関係の会社の株主総会だった。同族だけの小規模な会社、そこの監査役に加えて頂けるという事となり、初対面の顔見せとして先生も来てくださいというのでやって来た。その会社は別に不動産管理の会社を持っていた。元々何人かの兄弟血族が北海道に移住してきて事業を始めたのだがその中で食品分野を興した親戚がそれなりに規模をおおきくし、その形成された不動産の管理する会社が必要となった。そういうケースは北海道では多い。食品工場などではそれほどの裾野はないが、これがバス会社なら、車庫や修理工場、それにガソリン関係の業務を扱う事業設備など自然と裾野は広がり、その為の不動産取得が絡んでくる。その結果その都市や周辺、沿線に用地が増え、ある時期からそれらを管理する必要が生じその為の管理会社ができてくる。特にバス事業など交通の便のよいところ、鉄道との連携などで市内のめぼしい場所で不動産を取得することが多くある。その結果時代の流れと共に資産価値が増大し、ますます管理会社が大きな存在となっていくのだ。その会社もそういう傾向が少し合ってその管理の為の会社が大きくなった。その会社の監査役にと求められたのである。

ロンドンと東京の差

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このフリージャーナリストの言わんとするところ非常によくわかる。日本も英国化そうなって欲しい。産経出身のところが良いかな🍀朝日だとおそらく会社飛び出さんだろ。いつもコスモポリタンみたいなこと好きな朝日だけど書く人は朝日のお湯にズップリと浸かっていて冒険心なんかない。