北方のカラマーゾフ1

地方の都市に起きたアヤというか兄弟姉妹で言うと兄弟のみ、それ等の者達のこれは似てないこともない父親との葛藤をドスト閣下の表題を借題するとするのはやはり多少大袈裟な気も致す処だが最終的に描きたかったのはそこにある稀代な報復絵劇、ソレこそ自分が閉じ込められてきていた内容で、それを誤魔化そうと企てても結局はだめでそれを最後に書こうとする所から新たに始まる。それは力も無ければ何も無い、しかし行ける所まで行くしかない、充分でないのは先刻承知、ただただそんな作者の気分から始まります。

衣縫う母は4

担当者は常に変わった。予約もないので、上手くすればその日の空き時間を教えもらい、それまでの間は他所で待つこともできたが大抵はその事務所でいつ呼ばれるのかと待っていた。前任から事務の引継ぎはなくて、その都度兄との関係、その委任状、を説明し、やおらその事務所で扱う個人の関係書類にこちらも相手も立ち向かうような感じでした。大方コンピュータ内からどこからでも資料は取り出せるんだろ。でもここ地元でするのは何某か母もいた場所、母が心配を重ねた場所であって、いわば母にとって東京の悲劇を受け止めなんとかしてそうした流れに逆らいつつも力の差ゆえ諦め、でもそれに反抗心を持って兄のために図った場所、そうした地場的な何かがこの手続にも入ってる気がしてた。

衣縫う母3

しばらく待つと自分の番が呼ばれた。相手担当者は男性だった。いくつか質問したかったがそれは簡単な事ではなく、持ってきた兄との関係を示す改正前原戸籍(これは高木の兄が何時上京し、その後渋谷区のマンションに移ったこと、その以前の移る前の元の町での家族関係を示すものだが)それでは「委任関係」が明白ではなく今回では方が尽かず、再来かなにかしてほしい、という返答になる事を申し渡された。これはなんか変ではないか、自分が来たからにはある範囲までは知らしめてもいいのではないか、と反駁してみたものの、結論は変わりそうもなかった。ここに大きな誤解があった。年金事務所側ではそれなりに資料は用意されていた。しかしそれは繋ぎ繋ぎの資料であって、それを厚生年金国民年金のリンクをしたり、合算したりするのはあくまで本人確認をした上でその話を繋いで持っていく類のことらしい。最後に担当者の上司が出てきて説明を受け初めて理解したのは、兄は部分的部分的、或いは断片的断片的には通算すべきいくつかの期間があるのだがその一つ一つは十年の納付期間をクリアしておらず、そういう充足対象に対しては既に要件充足ということで給付の決定はなされており、然るに兄はまだ未充足なので、それを確認したく高木が手にしてた葉書を送ったのだということだった。なんだまたこれから調べるのかと落胆も高木はしたが、一方その説明の中で大学に在席してた期間もその合算に通算できると聞いたことは多少の朗報だった。それにしてもおふくろはいつから兄の為年金を支払い始めたのだろう。それと兄が大学を除籍になり少しの期間働いていたがそれは何ヶ月になるのだろ。それらを合算すると今年金事務所で保管されてる資料で最低の機関である十年120ヶ月を満たすのだろうか。そう思いつつ高木は家路についた。少しばかりの期待感はあった。それと同時の希望としておふくろの意思は報われるのだろうかという哀しみを伴う形であった。

 

その晩高木は夢を見た。おふくろらしきおばさんが縫物をしていた。それは最初は学生服のように見えたが、いや違った。それは濃紺色の軍服だった。それの首回りの盾を只管おふくろは丹念に縫っていた。それは出世を願ってのものなのか、違う目的なのかは顔も見えのぬでわからなかったが一つの感情にとらわれて縫う、しかもその全体の動きにはその後のおふくろの兄への感情も込められて、いくばくか哀れみを持つ表情、さらに言えば表現だった。高木その夢を見ながら少しばかり泣いていたような気持ちが後から起きた。

衣縫う母2

その葉書というのは年金制度が変わった為に生じた変化に基づくものだった。高木の認識では以前は成人してから25年程保険料を支払わないと年金の受給資格がなかった。その法制が変わったらしくそれ期間未満でも少額だが受給されるようになった。高木はこれはいい制度改革だと思った。それと同時に兄の為に恐らくは保険料を払い続けただろ母親の事を思った。「多分彼女は長男のためにその老後を考えてなけなしの自分の金の中から支払いをしたのだろ。」父親はその点は無頓着でいつか社会復帰できると信ずるだけで具体的な方策を考えなかった。今のような病状から抜け出し得ない事を敢えて想定せず、ただ面会すれば何某か豪勢な食事をしてただ励ますだけだった。彼には何も隠すべきものはなく母たる彼女には多くの隠すべきもの、将来の心配があった。そうした態度を理解してる高木にはどちらかというと母親の方の未来予想図に共感を感ずるところがあった。しかしその母親が具体的に何をしたかはその年金事務所を訪れた時点では何も分かっていなかった。それ故高木には若干の心配があった。

ウズベキスタン紀行

ツアーでウズベキスタン来ている。4つの世界遺産がある。東に日本からの飛行機が着いたタシケントがあり、そこは近代化が目覚ましいらしく、そこは最後にしていきなり西に飛びヒバという一番目の世界遺産のある街を見て、徐々に東征してブハラそしてサマルカンドそしてタシケントに向かう今途中である。ブハラまで終え今日サマルカンドに向かう気持ちでは今までの世界遺産は要らないという気持ちが強い。毎回の似た食事と同じくサマルカンド世界遺産などではないタシケント見学だけで十分な気がする。途中絨毯など買おうとした、値段聞くとその値段の価値はなさそうである。伝統的布地もあるがそれも魅力的とはいえない。要は一流品作る伝統が途絶えてる。それはソ連邦支配の影響かもしれない。以前NHKの番組で解放時にドイツのバイヤーがどっと訪れ、母から嫁ぐむすめへの代々の手作りの貴重な衣類などを買いあさる、それに呼応してウズベキスタン人が高値だと売り渡す、そうした両国の国民性を写すドキュメンタリーあったが、それに似たこと日本にも昔あったのだろうが、そうした売り買いで魂を失ったのか、物作りの原点見失ったのか、一国から何かが喪われるということはある。そしてそれが世界遺産等の評価とは別物であることは明らかである。まぁサマルカンド千夜一夜物語のバックグラウンドみたいな古都だから少しは期待しているのだが。