秩序は上から降って来る

片付けができないというのは、自分の中に秩序がない、あるいは秩序を求めない人間であるからだろう。そうした感覚というのは、人々の一人ひとりの問題ではあるが、社会性との問題でもある。社会の秩序をあまり認めたがらない人は、極論片付けができない人でもある。その社会にしたって、秩序正しいというのがどこ由来の基準なのかは確実に言い得ない。属してる人の考え方の集積という人がいるが反対ではなかろうか。秩序と裁きとは違うけど似ているところある。裁きは各人の秩序感覚の集まりではあろうが、そればかりでなく外側からやってくる側面がある。昔は神の審判としてやったように、今だって外からの要素を捨ててはいない。最近の報道されてる事案見ていると、結論は具体的に何と見いだせないものの、いつか空から降ってくるように結論、秩序ある結論が出されるのだろ。それを誰かが操作して導いたりできるものではない。どうしてそうなるかは分からないが、人間の一つの属性として、あらゆる事は全て空から降ってくるんだ、雨だって雪だって、そうであるように、上からやってくるということに親しむ傾向があるのではないだろうか。昔ながらのお天道様に聞いてくれという庶民の声は正しい、と思いつつ下らないことで又片付けが頓挫してしまった。アカン、両親が既に死んでいることがこういう場合あるいは大きいことなのかな。