野火(ヤカ)の如く今日も生き4

近松の実家は信二と同じく通った中学校の校舎の真ん前にあった。大きな昔でいう所の精神病院、近くに大きな邸宅があって一分もかからず通学していた。病院施設には当時、鉄格子が架けられ、時々は中の病人がその隙間から腕を出し、意味不明な大声を出していた。病院名の「近松」という声もかかる時があり、信二と近松が学校の帰りに歩いてると、その声に近松はギョッとした表情を浮かべ、やがて苦笑いをした。病院は五歳上の姉がその地方の医大に入り、あとを次ぐ予定となってる風であった。一人息子(その下の子も女だった)の近松に両親は期待してたようだが、近松はそんな職業には付きたくないと中学生の頃から断っており、両親としては長女をとりあえず医学部に入れて、近松の心変わりを待っているのだと、信二は親同士交際のあった自分の母親から聞いていた。近松家が経営する病院は盛況でその父親も毎年のようにその地方の所謂所得番付の上位を占めていた。信二は近松がなぜ親の職業を継がないのか、よく話したことはなかったが、近松の方でも、将来の夢を語ることもあまりなかった。それが少しづつ変わって行くのは、同じ公立の高校に進学してからのことである。