素のままだった青椒肉絲麺

ツアー客に隠れて小曽りと注文する麺。

 

なんとなく背徳?でもないけど現地ガイドが言うにはおすすめはトマト麺と☝青椒肉絲麺。
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後者頼み、出てきたのは上~青椒肉絲下~茹で麺であつた。

誰でも手軽に作ろうと思えば作れるかも?でも当然、青椒肉絲と麺とが同時存在のときは美味しかったよ❤

やはり中国ではダメだったんだSNS

ツアーで武漢来てみると(でもウーハンで転換するかいギャラクシー?、ツイートもエフBもダメですね。前のセイトできてたのはなんじゃいな。今共産党大会からかな?あっ北朝鮮の沈黙も同じ意味?はてなで同時性出すとしようか。

更に張家界は軍事基地があるから更にダメらしい。

選挙結果論パート2

今日の読売みると今の今この日本には世代間戦争というのがあるのだと分かる?。前からなんかそんな気がしてたけど今回の投票行動の分析見てたら二十代と六十代では現政権への評価が異なる。それの程度は政権や当事者への支持というよりより端的にいうと権力更にいうと哲学的意味での力に対する考え方のカナリ大きなる相違なんただと思う。安倍さんを好きか嫌いかのレベルでは決してない🍀

そこ、彼ら二十代の世間に対する行動様式に現れてるの薄々感じてたのだが今回の選挙でかなりスッキリはっきりした。二十代の若者成り立ての人と六十代老人成り立ての人との間には戦争が勃発しており、二十代の若者の敵は六十代のくそ老人であり、六十代のジっこの敵は二十代のくそガキどもである。これからは敵をよく見据えて行動すべきなのかもなと自戒もした。それにしても四十年台も結構苦しんでるんだなぁ。振り返ると同情もするよ🍀。でも二十代にたいしてはそういう気はさらさらわかない。彼らは今を既選択したのだ!今の日本は二十年代対六十年代戦争状態である。

選挙結果論

今回の総選挙色々面白かった。中でも女性の扱いが日本人の心性を表していた。山尾は当選し野田も当然当選、しかし豊田はダメで小池は存在意義まで危ぶまれている結果となった。何がいけなかったんだろ、どうして扱いの結果は異なったのだろう。あまり正解とまで言い切る自信はない。しかし裏に日本社会の男(おとこ)性というものがある気がする。豊田の秘書は男性だった。ハゲとも呼ばれ男としての自尊心を相当傷つけられただろう。エリートのストレスだったとしても女が男をやっつけてる構図が録音から伝わった。小池の場合は踏み絵又は排除が行われようとした。決めて語ったのは小池女史だった。排除されそうな中には多くの男性議員がいた。その構図も女がトップで下の男性に対するもので多くの男性のあんたを検査するという踏み込んだものだった。言葉が適切でなかったというよりそうした男性を下におく女性上位的な様が浮かんで来ていた。昔小沢一郎華やかりし頃総裁の首実検というのをやったがそれは男性対男性としての関係だった。女党首はそんなに偉いのかという心理的わだかまりが小池さんの場合には発生した気がする。

対するに野田の場合、彼女の亭主は報道などによると本当かどうか知らんが元やくざとか囁かれてる。しかし彼女はそういう彼を愛してるらしくなんとか遺伝子クリニックでそういう男性の子供まで産んだ。これは完全に男を立て自分も立っている、男社会の方針には適合している。反社会的要素はあるが男性社会の内部にはきちっと食い込んでいる。更に山尾の場合の不倫とかやについては一見女の抵抗のようにも見えるがダブル不倫であるばかりでなく、夫でない相手の弁護士さんとの中の良い関係でありポジションとしては男のスタンスを認めた上での肉体的わがままであり、決して彼女がこの男社会への反逆者でないことは明らかなような気がする。

結論として世間は男社会に反する行動には罰を与え、それに至らぬ行動にはそれほどの咎めを科さなかったように思う。

こう書いていてそう言えば緑のブレザーの元滋賀かどっかが知事も落選したな‼️それと昔も今も日本は男社会というのとどう絡むのだと問われる気もしてきた。よくわからん。まぁ彼女はブレザーの割りに老けてたから、男社会では珍重されなかったのではないか。こうした例があったからと言って先の結論は崩れまい。日本の女性は中々に窮屈なのかもしれない。

古里

トウ正平の故郷に行こうか残り一日ともなり悩んでた。広安市というのはここよりも重慶の方が近いらしい。ここからは片道五時間かかる。この人が好きな訳でもない。毛沢東に屈しなかったのが取り柄?そこが気にかかるかな✨昔なんかの本でトウはフランス行って工員やっててアッチでビリヤード覚えたらしい。それもかなりの名人だったらしい。その話を前回のツアーの広安市出身の女ガイドにしたら若いのか知らなかった。そんなこともあり近かったら行き当たり場たりだから行こうかと思ってたけど、骨はいは海にサンコツしたらしいし公園だけらしいからどうかな😃別にいく必要ないけどトウは日本にも来たしね❗なんか感じたんではなかろうかという気もするし🎵悩んでた。で結局行かなかった。とうしょうへいのとうの字は登の篇にこざとが作りとなっていて日本漢字にはない字だ。まさに彼は名からしてこざとなのである。

戦略と言い訳

誰しも自分の才能の限界に怯えてる。いつになっても勝てないのはつらい。頭が下がりっぱなしなのは嫌だ。特に男はそうだろう。私失敗しないですからなんて一部の人で私たちは見比べるとあの人には勝てない人々に周囲を包囲されてる。現実のありのままだったその過去を振り返ろう、父にあって(義父にあっても)自分に欠けるものは何だったのか。その一瞥だけでも随分違う。振り返るとそれは昔の人である父や義父は作戦をもって生きていたんだなという感じだ、世の中のことに当たるに戦略を持っていたということだ。彼らだけが特殊だったのだろうか。いやそんなことはあるまい。多くの昔の人はそうしてた。彼らは分かってる。自分の意見がある。其を相手に吐くのは簡単だ。単純な対応なんてどれでも誰でもできる。しかしそれでは薄っぺらな反応でしかない。計略なき報復でしかない。それでいい場合もあるが、それでは相手にリアクションしただけで相手めがけて何かした事にはならない。自分の心の中でも切り返せてない。そこで考える。どうこれを言い訳のようにではなく、単純反応でなく、持ってけるか。ごく短い時間に頭を回らせる。そしてこの切り口だと思ったらそう思えたらそこから突く。それは戦略という一言で言いきれるものではないが、でも何も考えないでやるよりは相当いい。何と何が比較していいかというとよくはっきりしないが、でもそうした戦略的に自分は生きているというのは相当に自分としては増しな部分がある。現に彼らはそうしてきたし、だから彼らはすごい人だと周囲に思わせる。中2の子供を身震いさせて叱責した副担任がいる。それは戦略無くて怒った人だ。当たり前の反応をした人だ。ヤフーの意見でハイハイこれと一丁前に意見を👍狙いに書く人もいる。それも単なるリアクションが最高だとおもぅてそうしてるだけで何の戦略も感じられない。自分もそんなことをやっている。やってばかりいる。そうだな〰❤バスカルの考える葦という、その考えるという中味はきっと戦略なんだと思うねぇ~我々は戦略家になるべきである。