日本の文化受容のある種のパターン

自分は無添加食品を拡めよう、のグループFBに入ってる(自分から発信したことはない)ので、英国でもドイツでもその種のお店によったりする。結構凄いとこもある。種種も手広い、歴史もある、食哲学の徹底など特にドイツなんかでは感じる。一言持ってる人も多数いそうな気がする。コッチは無理論だからそういう取り揃えの隅っこを齧れれば上等だと思いつつ、その日本のFB見てると、所々教条主義みたく感ずるのだけど、でもその中にそれぞれが固くこれだと、例えば添加物排除にしても、単純に決めてけるのだけど、それが次々とコレがいいコレがいいと引っ張り出してくる。それが間違ってるとはいえない。というか、こんなに信念として己と食品との間で弁別作業をするというのは、欧米から全て食べ物が入ってる訳ではないのに、この小さな国で、相当な熱情だと思う。誰かが、仮に添加物が入っててもそんなに寿命に影響しないと研究結果発表しても恐らくその強い信念は揺るがない。彼らの魂を揺らすことはできない。そしてふと思う、こうした信念とか情熱なくして、西洋の考え方は日本人の心の中に入ってこなかったのではないか、ある種の教条主義がなければ日本は文化受容ができないのではないのかな、と。いやいやそれは凄いことである。みんなその種の信徒になるのだから。

島倉千代子の東京

島倉千代子は予想に反して東京生まれらしい。京急線青物横丁駅の電車乗車時音楽には人生色々がかかる。その近所で育ち、父親の職業は警察官だったらしい。阿久悠にしても和田アキ子にしても、親父が警察の人だと子供はキチッと成長して国家的逸材が育つという法則があるのかしら。さてその東京の人、島倉千代子には東京だよおっかさんという名曲がある。戦後にか田舎から出てきた母親が息子が眠る靖国神社を慰霊のため訪問する。靖国には御霊が不可分離にミックスされて祀られてるから、個別には慰霊できないけど、そこに来れば息子に逢える。この時の様は、例えば島倉千代子の実質的ライバル(島倉千代子の方は一方的に尊敬し、その一歩下がった姿勢はまたまた島倉さんの人の素晴らしさを感じさすが)の美空ひばりの九段の母の歌詞では、神と祀れもったいないけど、金賜勲章が見せたいばかりに持参してやって来たとある、でも島倉千代子のおっかさんの息子はそうではなかったらしい。或いは特攻兵だったのかもしれないな!。

でもこの二人の戦後のディーバが戦争史観として、あの戦争を肯定してたとはいえない。島倉ディーバには九段の母と真っ向から対向するひろしまの母というのあるし、美空ディーバにもその種の歌、一本の鉛筆とかも歌ってる。歌手の芯としては共通なものある。その両者、実際の人生では島倉千代子の方が年上なのに長生きし、中々厳しい人生だったらしいけど、きちんとして男に騙されたりしながらも歌バカ人生を全うした。そこを尊敬する。さてここからなのだが、偶々島倉さんが最後に吹き込んだのはからたちの小径という南こうせつに作らせた、からたち日記繋がりの中味もメロも古臭い歌であり、本人も覚悟してたように、それが最後の白鳥ソングになってしまった。その声の衰えはどこか書いたような気がする。自宅に機材持ち込んでの録音は多分参加者に感動以上のものもたらしただろうと推測される。その歌の感想を2年ほど前ツイートしたのを忘れてて、誰かがRTして自分で思い出した。その中に、からたちの小径の三番の歌詞がズキンと来るとか、書いている。さらに、その後の録音はいるかのなごり雪島倉千代子が歌ってるのが入っていて、その「東京で降る雪は」の発音、その東京の発音が東京だよおっかさんの東京の発音と瓜二つで、二倍泣ける、と書いてある。何十何年かまえの録音と同じ発音で録音して息を引き取ったと言いたかったらしい。具体的に言うと、東京を普通の人は大抵とーきょうと発音する。駅の人もとーきょうと呼んでる気がする。しかし東京人の島倉千代子?はトウキョウと発音する。うはふに近く、とふきょうとも聴こえる。伸ばさない発音でうを強調するのは東京人の癖かもしれない。ある調査で東京人の中で東京生まれの人の割合は、というのがあり、田舎者は少なくて53パーセントくらいあった。でもコレは調査方法として両親が東京生まれの人の割合を出していて、子供を入れれば二人子供がいればそれだけで50パーセントは行ってしまう。その人の両親と祖父母まで東京生まれを要求したらグッと東京での東京人の割合は減るだろう。更に東京をとうきょうと発音できる人というフィルターをかけたらもっと減る。問題はそんなところに全くなかった。問題というのは実は島倉千代子さんが歌ってる東京だよおっかさんの涙ソングの歌詞には一箇所も東京が出てこないのだ。二重橋とか九段坂とかはありますが、ズバリ東京はない。あれ!?間違ったのかな?

それからしばらくして思い出した。なんかこうではなかったか。東京だよおっかさんの吹き込みにはいくつかあって、その一つに歌の冒頭のセリフとして、最初の語りでボロンと「東京だよおっかさん」というのを聞いた記憶がうっすらあるような、気がする!。島倉千代子の東京はだから謎が多い。

作戦論の不足

最近の自民党の議員の方々の言行見ていると、どうも同じ事するにしても、もっと敵の出方想定するとか、そこら辺の煮詰め方が足らない気がする。一切合切は戦争みたいなとこ、議会にはある。議場は戦場なんだろ。だったら、十分作戦を立てて効果的に敵にダメージを与える必要あるだろ。なんか自分の信念が正しければ、結果として正しい結論が齎されるというのは一種の精神主義、一個の信仰でしかない。神風など吹かないのは元寇のときと違って、あの戦争で思い知ったはずだろ。作戦、緻密な作戦、練に練った作戦、そのための会議とか先輩との会話、そういうのもう風土として自民党の中にないのかな?

秩序は上から降って来る

片付けができないというのは、自分の中に秩序がない、あるいは秩序を求めない人間であるからだろう。そうした感覚というのは、人々の一人ひとりの問題ではあるが、社会性との問題でもある。社会の秩序をあまり認めたがらない人は、極論片付けができない人でもある。その社会にしたって、秩序正しいというのがどこ由来の基準なのかは確実に言い得ない。属してる人の考え方の集積という人がいるが反対ではなかろうか。秩序と裁きとは違うけど似ているところある。裁きは各人の秩序感覚の集まりではあろうが、そればかりでなく外側からやってくる側面がある。昔は神の審判としてやったように、今だって外からの要素を捨ててはいない。最近の報道されてる事案見ていると、結論は具体的に何と見いだせないものの、いつか空から降ってくるように結論、秩序ある結論が出されるのだろ。それを誰かが操作して導いたりできるものではない。どうしてそうなるかは分からないが、人間の一つの属性として、あらゆる事は全て空から降ってくるんだ、雨だって雪だって、そうであるように、上からやってくるということに親しむ傾向があるのではないだろうか。昔ながらのお天道様に聞いてくれという庶民の声は正しい、と思いつつ下らないことで又片付けが頓挫してしまった。アカン、両親が既に死んでいることがこういう場合あるいは大きいことなのかな。

廣松渉の主著について

岩波の文庫の中には世間の共同主観性の項目の中にデュルケイムの社会学再評価の記述部分が含まれてくる。これはこの人が非常に感がいい事を表している。単なる哲学的基礎だけでは飽き足らず、この世の中にはその基盤がわらわれの社会的存在、共に生きてる中にあるのだと関心を持ってたことを、納得しようとしている。その中でも特に道徳的基礎に何らかの解明口を探している。要するに我々が共に考えうるというのは、共に道徳的な基盤をこの共同体の中に置いてるから発するものなのだと発想している。これは本当かどうかはあんまり分からないけど、例えば先例のイジメの問題にしても、他人を愛せよ!という道徳規範からの逸脱とも見うるわけで、ソレを行わないことから、その対象が共同主観的存在から剥離していくようなことを表している気がする。我々が道徳的存在でなくなれば、あたかも社会という細胞膜は壊れ、共同主観の世界は崩壊すると言ってる気がする。或いはこれは誤読かもしれない。しかしその留保もつけつつ思うのは、例えば憲法、その憲法の中の平和主義条項というのは、要するに道徳規範ではないのかということであり、平和主義というのはただのお題目、されど意味深な道徳的お題目なのではないかということである。それは学級内の隣人を愛せよ、と全く同じ徳目、それ故に、そんなの出来るかと、容易に投げ棄てられる徳目、でもあったのでは、とその様な気がした。何も守るのがどうだと言うのではない。しかしアメリカ人が作ったなんか分からん、先駆けた憲法の条項の中には、将来コレで行こうとする日本の社会を規定する道徳律が含まれてた可能性がある。それは日教組がどうのとか、戦場には行かせない、との勝手読みを発生させつつも、ある種の戦後日本の共同主観を生み出す源泉としての共同体の様を規定してるところがあって、イジメがあるのと同様に、その道徳的要請に従わない事は、恐らく共同主観の崩壊~個人としてバラバラになるとの危惧が護憲グループにはあるのだろう‐。非常にまだるっこしいアナクロな道徳が今に適合してるかは良くわからんが、共にある為には、かつての天皇規範とか、戦後の憲法規範とかの社会をバインドするものがなければならず、それなくしては共同主観的存在としての日本人は、維持されず、ソレを変えるなら、更に強力な例えば独裁者とかが齎す規範とかが用意されなければならない。もうそれは着々と用意されてるのかもしれない。

小室哲哉小室圭小室等

かつて木村庄三郎でないところの木村尚三郎先生がご活躍なとき、木村先生はtrfが華やかに小室哲哉の作曲家としてのサウンド彼の作る音楽でこの世を充ち満ちさせてたのを概察し、彼の音楽には死の匂いがすると、えらい嗅覚を御示し申された。当時はむぅ何?でしかなかった。さて木村先生もなくなり、先日の会見を見聞きするに及び、不倫‥不能‥介護とふとふ、あらゆる人生の悲惨が飛散されんの目の当たりした上での感想というのは一概にいえない。そこには勝者でない人がいたが、そうかと言って敗者では決してない、時間は遅れたが陰画が見えてきただけのような気がする。小室圭様にしても、生母あさまに足引っ張られる気配ありだが、どうも何かを狙って失敗したとも思えない。小室等は武満と仲が良かったのだそうだが、これも意外感がある。誇らしさというのは、そう簡単ではない。守って守りきれるものではないというのが現代の特徴だ。守りきろうとするのは誰しもするだろうがそれができない。

ある意味で勝者と見えた人には暗い過去があるという単純なことなんだろうが、今というこの時代、それがバレてしまうのが時代の特徴なのか?とも思うが、そう簡単でもない。要するに、凝視される時代?でもそれだけでもない。人が他人の中に悪を見ようとする時代?それも少し違う。寧ろ嗅覚繁栄の時代なのか。少なくとも善意の時代は終わり、犬のように嗅覚を持ってる人がみちているのは確かかもしれない。

馬琴〜露伴の水脈

田舎者なりしゆえ(明治開闢からこの方ばかりでなく昭和中旬に上京なりし立場も含め、)江戸文化を引き継ぐ東京、特に戦後東京、更には平成の御代の今日、様々の東京スタイルがあった訳だが、そのいずれにも馴染めぬ、自身の立場に付き、川村二郎が解読するところの、粋通訳知りの文化とは、遊廓の間から拡散した害毒的表面上のものであって、それすら理解出来ぬ、薩長土の野蛮は論外として、そのコアの部分には「俗に背いて独り往く」馬琴がおり、それに連なる露伴があったと、いうのは、対立構造としては頗る興味を引く。粋とか通とか訳知りとかは所詮ポップカルチャーであって、そうではないそうとは違うもの、多分それは徳川側300年の武士文化の賜物なんだろうが、それを今も誰かが承継している。しかしソレもあるいは、粋通訳知りのレベルまで堕ちることもあったりする。これって中々難しいものだな、と又露伴さんなどは、恐らく京都と対峙させて自らを律してたものとも思われて、日本文化の複数性を教えられる気がする。ところで、一体誰が粋通訳知り外で日本で活躍してるのだろうか?