キサク(1)

「おじさんこれ払ってよ」、少女が押し付けたのは一枚のガス代の払込用紙。「先月は寒かったから結構かかったよ」などとおっかさんのやうに言い、「おじさんなら大丈夫わかってる」と柔らかくごまかした。何度か市バスの待合いで顔を合わせた程度、なんか遠く見てるやうな時もあった。狙ってたのかもしれない。イヤ狙ってたのは自分の方だ。少女は器量良しだった。スラッとしてた。取りあえずお金を用意した。なんかのきっかけで他人と知り合う、その他人が命がけの勝負をしてくる。女は猫だから警戒心が強い。だから珍しい。できることはお金を用意すること、それくらいしかない。善意の受け皿になることだ。しかしその払込用紙を受け取った後、少しの間その少女とは顔を見合わせなかった。やられたか!喜作は思った。

ゼロリセットというヨガ原点

今日のテレビで普段はどうかな外人?クラスと思っていたモーリーというコメンテーターが自分もヨガを1980年代からやっているという経験から例の林大臣が通ってたというヨガスタジオに少し異議を申し立てていた。怪しげ方面のコメントはともかく、最後のリラックスマッサージというのが彼としてはとても違和感があるというのだ。彼によるとヨガを一連に行った最後には開放した自律神経を休める為に「死体の投地」といって何もしないで、全部を休める、頭はALPHA状態に保ったままにしつつ身体を完全に癒やし、そうした状態で細胞を活性化するものなのだという。それがヨガをする意義で、ソコに第三者が手に触れたりするのはそれまでの業を一挙に後戻りさせてしまう。そんな事は決してやってはいけないことなのだそうだ。彼はソノ開放した状態で休まることを「ある種のゼロ状態」と呼んでいて無とは言わなかった。それ聞いてこれってなんか己を無にするというのとなんか違うんだろうなとインド帰りの私には思えた。例のあれ、ゼロ認識ゼロの発見、いわば数学のゼロ、生活のゼロ、に続く身体のゼロというやつかなと。なる程な、インドはなんやかんや人間にとってゼロを突き付けてくる国なんだとそれを気付かせたこの人少し見直した。顔もそのせいかインドの血が混入ってるような気もする。やはり根本的に日本とインドとは違う。日本に足らないものがある気がする。

幸せがないのは不幸ということではないについて

インド人が零を発見したのは昔から教えられていた。それはMathematicaの話である。しかし生活の中にもゼロがある。それが幸せがゼロであってもそれは不幸であるとは意味しないことである。恋人がいなくても(零でも、不幸ではない。高卒で大学行けなくても、不幸ではない。要はそんな風に無い事はないだけの意味でマイナスなんかではない。むしろゼロが原点なのである。それが生活の中の零思想であり、インド人が取っている考え方でないのかなと見てて思った。幸せがないからと言ってそれは不幸に転落したわけではない。ゼロから始めるのに何の感傷もいらない。それは普通のことだ。落ち込む方がおかしい。そんな生き方してる気がした。だから多分他人とも比較しないし、競争もしないんだろ。

インドの金的原則

東京に戻り頭がぼっとしてる。インドに魅惑されたわけではない。そんな道を歩きたくて行ったのではない。でも垣間見えるものからでも少しインドは見えた、そういう気になる。そんなに話をしたのではないけど一件フェイスブックをフォローしあった。彼には二人の小さな娘がいる。高卒らしいけど懸命に働いてる風、週に木曜土曜とヒンズー教教会に行く。あそこに入ると霊的何かを感ずる。ノルマでない信仰、裸になって入るのは多分心もネイキッドにするためなんだろ。向こうにも変な新興のがあって裸心に忍び込んで金を貢がせることもあるらしい。こっちもXJAPANのトシの話をした。悪いというか心につけこむ人はどこにでもいる。日本もインドも大きくは変わらない。そうそう、クリケットの一番強いのはチェンナイのチームらしい。それかチェンナイ出る飛行機の中でクリケットのアプリやってる人がいた。何というか聞いたらBig Bash Crlketというらしい。ルールもわからないけど実在の選手が出てきて打てないとしょげてベンチ帰ってのがかわいい💞

インド人のこれが生き方かなと思ってるのは取り敢えず2つ、一つは競わない、二つ目は格好いいことは求めない。おそらく実インド人はそんなではない。コレは恐らく彼らの宗教心から来てるものであって彼ら自身は自ら変えられない生き方になってると自分は思ってる。言っても違うと言われるが、コッチに参考としてこんなかなと思ったのはその2つだった。いま空港で時間がない追々説明することにしましょう。

インド人にびっくり

チェンナイに来た。着いて翌日ホテルから頼んだトゥクトゥクで一箇所海岸通りのヒンズー教寺院に回った。立派な石に彫りまくれた土台にがちゃがちゃ模造品のような意味ある非石製の立体曼荼羅みたいの上高く積み上げられ静謐な感じを阻害さす。入場には裸足となる。しかし御本尊本体?がある建物中に非ヒンズー教徒は入れない。その中を覗き込むと、仄暗いインドの闇が立ち込めてる様に見える。彼らの心の闇を照らす光も発されてる模様である。そこに来たれば彼らインド人には心の安らぎが得られるのだろう。同様なものを得たいと思ってもその特権エリアには入れてもらえない。神がそうするのであり、排除心は信徒に共通する。同じ方向での信心が違う方向の人間を排除するのは当たり前である。

そこで考えてみてるとインド人という人達は聖と俗との共有を当然視し、それが自分の人格の中にあること、否定しない人々である。俗から聖への一方通行の上がりも信じない。最後まで俗は人間に付きまとうものであり、それを癒やす為には最後まで聖が必要なのだと生まれてくる前からそう考えてる人たちだ。コレは弁証法だとすれば上に行くのだが上に行くのはセイブされている。この地上の平面の中に生きている。それが当然と考えている。それは目の前に小人がいたとする。それを眺める眼は日本では不具な覚めた視線であり、自分との関わりを絶ちたいと思うかもしれない。しかしインド人ならそこに恐れを見出す。転生を信じるなら、それはある時の自分の姿かもしれない。その不具は癒やされなければならない。治療されなければならない。手術されなければならない。そのために聖なる事は最大限必要なのだと彼らは思う。人間を見動物を見その他の生き物を見れば、それは自分とは無関係のものではない。己の外部にあるものではない。周り回れば全部自分と思うということは、それは目の前の第三者も同じという事で、ソコにこそ社会というもののベースがあると考えるに至る。聞いたことないが、そんな生き方だろう、ソコに神との共存共栄があるのは彼らの創造的選択なのである。俗から聖への解脱に関心はない。仏教は簡単に捨てられた。実際我々日本人もそんな生き方してる。俗から聖を望む人も多くてキリスト者仏教徒も繁盛してるが大抵は聖と俗とをうろうろする。どちらかというと俗に汚れている。それを手術する聖がなくてはならないと強く思うのが彼らで、その強く聖を望む部分、俗的生活が更に強大化することを意に介さない。それはあの奇っ怪な化け物的ガネーシャなんたら持ってきたときから始まる、彼らが祈り込めて作り上げた心の絵空事遊びの、満場一致に称賛すべき生きていくパワー全開ヘの、この世の世界の読み解き力の実践なのである。

野火(ヤカ)の如く今日も生き4

近松の実家は信二と同じく通った中学校の校舎の真ん前にあった。大きな昔でいう所の精神病院、近くに大きな邸宅があって一分もかからず通学していた。病院施設には当時、鉄格子が架けられ、時々は中の病人がその隙間から腕を出し、意味不明な大声を出していた。病院名の「近松」という声もかかる時があり、信二と近松が学校の帰りに歩いてると、その声に近松はギョッとした表情を浮かべ、やがて苦笑いをした。病院は五歳上の姉がその地方の医大に入り、あとを次ぐ予定となってる風であった。一人息子(その下の子も女だった)の近松に両親は期待してたようだが、近松はそんな職業には付きたくないと中学生の頃から断っており、両親としては長女をとりあえず医学部に入れて、近松の心変わりを待っているのだと、信二は親同士交際のあった自分の母親から聞いていた。近松家が経営する病院は盛況でその父親も毎年のようにその地方の所謂所得番付の上位を占めていた。信二は近松がなぜ親の職業を継がないのか、よく話したことはなかったが、近松の方でも、将来の夢を語ることもあまりなかった。それが少しづつ変わって行くのは、同じ公立の高校に進学してからのことである。

野火(やか)の炎の如く生きよ7

その後、近松と信二は二人だけで近くの酒場によった。真下は一緒を躊躇ったので、まぁ良いよとは言ったけど、近松は信二とだけ帰りたい感じを信二は受けた。それで真下のビルを出て、近松の行きつけのスナックに行くこととなった。その店に入るとカウンターだけの小さな店で客はいなく、ガランとしていた。近松はいくつかのそういう店にたまに顔を出す程度のようだったが、それでも何時もどこでも歓待されてる感じを信二は受けた。そういう店に共通してるのはどの店もおばさん、それもかなり酒場歴のあるおばさんが、あまり他に女の子を使わずにやってる店というところだった。その店のママは近松の顔を見ると、アッらいらっしゃい、とはしゃぐような声を最初出した。その後も、なんとなく浮き浮きとした感じで、漬物を出したり小イワシの焼き物などを出してきた。近松はママと話してたが、その話しぶりは、ママが話す内容を少し揚げ足を取るような話しぶりだった。それにママが反応して、笑うと近松は個別の会話には入らず、人生ではどうだとか、そんな一般論にすり替えて話を続け、そりゃそうね、とママが応じると、適当に笑いでごまかした。妙に男と女の会話ではないような気に信二はなった。ママ達には一様な生活の疲れみたいなものも感じ、信二は会話にも入らず、カラオケを専念するように歌った。信二の歌うときの声は高音で変声期を経験してないような声だった。近松は歌わず、その日は酔うと決めてたように、飲んでママとくだらな話をしていた。何曲か歌い、他に客もこない感じがしたとき、ママは「こんちゃん(その店では近松はこんちゃんと呼ばれていた)あれやってよ」とせがむように言った。近松は信二の顔を一瞬見て、ヨウシと立ち上がり、「楽屋、楽屋、」と言って、カウンターの内側の客の椅子からは見えない場所に隠れた。近松は結構酔っていた。ソレを見計らってママが声をかけた感じが信二にはした。やがて、予めママが入れたカラオケの曲を大音量にしたときに近松は現れた。