ある株主総会二

駅には食品側の若社長が出迎えにきていた。彼は軽く笑顔で会釈をしたあと一通りのこれからの段取りを説明をそてくれた。総会は午後2時からを予定していた。少し空き時間があるので二人で駅近くの和食屋で昼飯をとった。座敷にくつろぐと多弁になりこれからのことは全く心配ないと議事進行以外のことを話しはじめた。「おかあさん(相手の不動産会社の現社長をこう呼んだ)ももう昔の事は言わないと思います。先代の先生とのわだかまりは綺麗に解けてますよ。却って頼もしい人が監査役に就いてくれると私にはいったくらいです。」彼は私のこだわりが無用だと説明をしてくれた。私の中にはそれまで自分の父と相手先の会社との関係でしっくりしないものが感じられていた。それを彼はわかっていたので事前に話してきたのであろう。そんな簡単に変えられるものかなと思いつつ、一方で随分強引に役員に私をねじ込む、その一種の豪腕に、彼の言った頼もしさというのは自分に向けた言葉のような感じを抱いた。全体として昔から今へ一つの時代は町単位或いは人単位でも変わって行ってるのであって、そうした変化を若い彼には機敏に感じとるセンサーがあって、更にそれに圧をかけ自分の思う方向に引っ張って行く力強さがあるのかもしれなかった。それは初めて彼に懐いた私の感情だった。

ある株主総会一

それは数年前のことだ。その総会に私は招かれた。北海道道央の中都市にあった食品関係の会社の株主総会だった。同族だけの小規模な会社、そこの監査役に加えて頂けるという事となり、初対面の顔見せとして先生も来てくださいというのでやって来た。その会社は別に不動産管理の会社を持っていた。元々何人かの兄弟血族が北海道に移住してきて事業を始めたのだがその中で食品分野を興した親戚がそれなりに規模をおおきくし、その形成された不動産の管理する会社が必要となった。そういうケースは北海道では多い。食品工場などではそれほどの裾野はないが、これがバス会社なら、車庫や修理工場、それにガソリン関係の業務を扱う事業設備など自然と裾野は広がり、その為の不動産取得が絡んでくる。その結果その都市や周辺、沿線に用地が増え、ある時期からそれらを管理する必要が生じその為の管理会社ができてくる。特にバス事業など交通の便のよいところ、鉄道との連携などで市内のめぼしい場所で不動産を取得することが多くある。その結果時代の流れと共に資産価値が増大し、ますます管理会社が大きな存在となっていくのだ。その会社もそういう傾向が少し合ってその管理の為の会社が大きくなった。その会社の監査役にと求められたのである。

ロンドンと東京の差

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このフリージャーナリストの言わんとするところ非常によくわかる。日本も英国化そうなって欲しい。産経出身のところが良いかな🍀朝日だとおそらく会社飛び出さんだろ。いつもコスモポリタンみたいなこと好きな朝日だけど書く人は朝日のお湯にズップリと浸かっていて冒険心なんかない。

議席数に応じた質問時間の割り振りについて

まぁ何もかも絶対多数なのだから議決さえすればほぼそうなるんだろ。議会制民主主義の破壊とかは自民党が行ってるのでなく国民が行ってるのだからしょうがない。

それはさておき二十代と六十代との世代間戦争というのは実は隠しテーマがあることだと思っている。二十代の連中は国は強くなくてはならないと信じてる。その点は異論がないのかもしれない。大国中国の政治及び経済の台頭があり、北朝鮮のような狂犬国家も存在して、共に強力な指導者を頂いてる状況下では日本にも強い指導者が求められそれを安倍首相は巧みに演じているのだろう。それを若者たちが支持する、それはある意味当然なんだろう。彼らはおそらく時代の風を読んでいて、今はそういう事が求められるべき時代なのだとの皮膚感覚を含めて対応してる。過去のように平和などの抽象論には見向きもしない。ある意味賢いある意味鋭い。そしてその前提及び結果として国家というものを信じてるんだと思うのだ。

しかしその国を信じてるというところが一番六十代と対立するところでないのかな🍀実は六十代は情けないことかもしれないが国家というものを信じられない或いは信じてない世代なんだ。国は何かやるかもしれないというトラウマに囚われてる世代なんだ。それの刷り込みが単にバカな教師から刷り込まれたからなんかであったならまだましだが、何となく経験知としてどうも政府というのは上手く行かせてるようで大したことしてくれなかった、悪いことまでしてないかもしれないが、そんなに良いことしてくれたかなと思う対象だったのである。

オレの個人的、あっいいことしてくれと思う政府の行為というのも悪評高き民主党政権下で行われたあの頃菅直人首相の1日高速道路乗り放題1日1000…円という政策でありゃ今思い返してもこの世の快適かん味あわせてくれた愚策にして快い政策であった。でもそれ以外にどんなに党が政権担おうと良いななんて思うものはなんもないきがする。

今振り返ると昔は日本はラクガできた時代だったと思う。中国の国力はたかが知れ、北朝鮮も危なさはさほど感じなかった。国内的に革命を訴えてた集団も昔はいたがそれはロシアの強さ或いは中国の革命性にゲンウンされてだけで真の脅威ではなかった。そういう周辺情勢ではない。

しかしそうした現在の日本にとって生きにくい時代に遭遇したとき、果たして国は信じられる存在になったのだろうか。私にはそうは思えない。逸れも単に安倍首相の資質の問題ではない。国家が国民を裏切ることはやはり頭の片隅にいれておくべきことだと私は思う。

例えば徴兵制である。安倍さんの九条三項明記果たして単なる自衛隊の認知に尽きるもんではない。皆で防衛というものを考えようとする手がかりである。自衛隊の募集が定員を満たさないときやはり防衛のなりてとして若者が徴兵される事は当然のことだ。それはあり得ることだ。

この若者参加については昔からある話である。学徒動員は当然のこととしてあった。これは実は若者に不利益で老人には利益なことだった。多くの若者が死んだ。犠牲になったとはいうまい。しかし実際は若者が死んだお陰でくそジジイやばばあは助かった。更にそれより小さい子ども赤ちゃんはまぁ火の海に投げ出され死んだかも知れぬが行きながらえ助かった。でもその若者達の死に対して年寄りたちは責任も感ぜず当の指導者を弾劾しまぁ少しは感謝しただろうが心底自分等を救ってくれた戦後生かせてもらったと労いなんかしなかった。そうした若い死者に向き合わないのは私はずるいと思う。卑怯だと思う。しかしそう決めたのは時の政府であり若者の死の影で一番人気余得したのは年寄り連中だったという構図は変わらないと思う。そういう風に国家は何かを護らんとしてその国民の一部―切り捨てるもんだというのが六十代の感覚で、戦争なんて自分たちに一番メリットがあると思っているのだ。

若者は二十代の人たちは強い政権を求める。それは当然でしょう、デモその強い政治を維持するためには誰かが自衛隊として戦って貰わなければならず欠員が生じたら自分等が現場に参戦せねばならぬことは理の当然なのだがしかしそれを実感として想定してるのだろうかです。

 

中国が真の敵だろう。何度も今年も中国に行った。中国人の若いのもやはり中国は自分等が守るという戦闘行為を念頭においた気概はないと思う。日中双方とも若者はは戦争から逃げようとしている。でもやるかやらないかそれを決めるのは若者の世論ではない。若者のおおくによって選出去れた党の党首である。うまくそれにのせられれば若い人がまたしても多く死ぬ。それは六十代との戦争で死ぬのではなく、実際の戦場で死ぬのだ。それは日中どちらも変わらない。

まぁそれも仕方ないと感ずるなら今さら何もいうべきものはないんだろな。身銭を切るのではなく身を切るのはやはりオレにはセツナイコトノヨウニ思われる。

中国料理の実力ってやつ


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明るい力強さ。手書きして堂々としている。長沙の町の新幹線乗り場付近のツアーで寄った店。


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張家界のホテル近く、若い料理人が威勢よく作る。味もまぁまぁ。


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武漢(湖北省)名物熱干面。

張家界に来てみると

武リョウゲンと張家界って同じものなの?の問いの前に日本での認知では張家界に行くこと自体があまり特化されていないらしい(でも最近NHKとかで広まってるとかも)。現地配布の添乗員レポートにもこれ張家界のお土産よ!と言っても、はぁ?とされるのがオチ、張家界土産でなく中国土産を買って帰りな✨と忠告されてる位。

しかしここ張家界はこれまで中国世界遺産数々歩いたけどキュウサイコウやコウザンなんかより更にはケイリンなんかより凄い凄い世界遺産だと私は思う。それは来てみなくては分からない。でもこんなのあるよが二十世紀の後半までまったく知られてなかったのだ。だから世界遺産の登録も遅れた。1980年頃かな?そうだとすると同じ湖南省生まれの毛沢東だって知らないで死んでいったかもしれないしな✨

 

そんなに遅れたのは何故か?

 

それは此処は少数民族のエリアで少数民族の口コミではその凄さ伝わってただろうけど、それは漢ジンには伝わらなかったからでないかなと私は思う。漢民族がこんなエリアまで入ってくることもなかったのでは?それで内容はアバターの撮影場所にもなったから詳細省くけど、今回のツアーでは飛行機で武漢まで飛んでそこから新幹線で湖南省のチョウサに一時間20分、そこから五時間バスで張家界に着くんだけど、その武漢から湖北省のガイドがついたの。多分漢人。ソノヒトニ聞きました。何で張家って家という文字入ってるの?彼は言った「それはむずかしい問題ですね☀」後で旅行の帰り道に現地生まれの女性ガイドが乗ってきたので聞くとさすがに答えれた。ここは張という名前の家族が多かったので張家の人たちのエリア(界)になったそうだ。いつも本質的疑問?を投げ掛ける自分でありたいと思った。それで自分的に第二の矢の質問があったけどこれは発せられずに終わった。

其はこんな山岳エリアで人入未踏の高峰が連なるこの地なら山岳信仰や伝説説話の類いが当然あると思うんだけどそういう日本風の物、物語知りたいという所。でも雰囲気としてはそんなもん無い感じがした。まぁそういう遠野物語系なのどこにでもあると思ってはいけないのかもしれない。

薬師丸ひろ子の声の励まし

昔から好きな女優さんというほどもなき薬師丸ひろ子、彼女のたち位置等もこれまで関心もなかった。機内で彼女が歌う、つまり歌手活動している、その結果としての奈良の春日大社のライブを聞いた。じーんと来るものがある。1981…2017のライブなのだから約30ゴロクネン、その集大成というより、その間の歴史の移り変わりが彼女の声を通じて甦ってくる。

薬師丸ひろ子は僕のなかではいまだに子供としてしか認知されていないのだが、それでもダブルの悲劇とか、サヨナラは別れの言葉でなくて等の来生メロディーは、ウォークマンに収めてた。でもその後の伸び悩みも感じてたのだが…聞いた中の戦士の休日が良い。涙腺を直接刺激する、涙溢れさす、機内はヤバイよな🍀だったんだ。

町田市とは関連性のない町田義人、町田にはかつて失踪した原口が住んでいた。そこもあったかもしれない。それともう一つ既に死んでいたらしいジョー山中さんも関連しているのだろう。そうした昔のクサグサが彼女の声一つでよみがえってくる。戦士の休息は歌詞はあの頃は感傷的な、生意気な唄歌詞なのだと思っていたのに、とても良い歌なのだと今の今となって分かった。こっちが代わってということなんだ。

ぼくが叫んでるニーマルロクマル戦争、その六十老人側の歌としてこの唄は応援してくれる。そのように薬師丸ひろ子さんは歌っているように聞こえた。その声の純粋性が勇気づけになる。おとこはいつも傷つくちいさな天使(戦士だけど)❗神様に召されるまで戦い続けナクテハならない。取り敢えずの敵は二十代若者だが‼それ以外のあらゆるものにたいしても!励ましの歌だ。