チベット論2

成都の夕刻バスから見かけたのは公園に集う結構な数の中年から後年にかけた中国ピーポーの男女だった。それらのピーポーは集団で愉しげにダンスをしていた。音楽もかかってた。日曜日だったと思う、明日からの勤労があるか知らぬが、そこには厳然たる生の謳歌があった。日本人はまずしない。盆踊りで老若男女が集まるかもしれないがその程度。中国ピーポーは金もかけずダンスに興じてる。これはひょっとしたら東洋一般はそういうものなのか知れず日本だけが近代化の過程でどんどんそういう大衆の楽しみを落としていったのかも知れない。その集団化された一般庶民の中国ピーポーはラサのことなんか考えておらんだろ。自分の娯楽に忠実なだけだ。その光景を見ていて一体ラサの抑圧されたチベット人と中国人とのどっちが、仮に抑圧が解けたとしても幸せなのか考えた。そして日本人は口で民族自決等ときれいごと言い、併合についても反省したりしてるが、当時のつけこんだ心理の中には幸せを分かち合いたいみたいな、文明教えちゃる的要素があったんだろかなと思った。