永六輔の渥美清譚

永六輔渥美清とは永六輔が戦後どさくさで鉄くずなんか拾って買ってもらうことなどしてた時に買手の子供に対しても決してピンはねしないお兄ちゃんとして出会ったそうだ。それは実験したこと。渥美清が芸能界に入るきっかけ作ったのはあるお巡りさんで鉄くずを拾って売り捌いてた渥美清を補導した際「お前は一度見たら忘れない顔だ。フランス座(当時流行りのストリップ劇場)に行け」と説諭して渥美清は真に受けてというのではなく心の中悟ってフランス座に行ったとある。コレは渥美清から聞いた話だろ。少しして渥美清がテレビに出るようになり先の永六輔が「そろそろマネージャー付けたほうがいいですよ」と親切にアドバイスしたら近所の無職のおじさんを連れてきた。このエピソードは実験したんだろうな〜。海外に連れて行ったら毎日毎日「お袋、俺元気!」とだけの葉書を母親に出していた。ここらから本論に入ってくる。渥美清は売れるようになってから住まいの所までタクシーを乗りつけることはなかった…近所の人に今の立場をひけらかしたりしない、それが下町に生れ偉くなったり金持ちになったりしてもの品性なんだと書いている。そんな人生でないから分からんが品性というのはディグニティということだろ。なんかのきっかけで実際はそうではないが背丈がスッと伸びる様な感じだろな。三島さんと中村光夫の対談でも同じような話出てきてた。晩年になればなるほど品性=ディグニティにこだわるウザさあるが一つの論であることは理解した。