帰還一

禎一がこの地を再び来てみようと思ったのは躊躇いの果であった。ある思い、それは多くの場合憂鬱なものであって、それを抱え始めると夢の底に降りていくような、いや引きずられていくような更なる憂鬱を抱える、人は他人も皆そうなのかもしれないがと禎一は思いつつも、自分の今の力ではその問題、その悶々とする課題は解決できないなと思う。それで旅立つ、ということが他の他人の場合と同じく自分の場合もありジッとしていられない、そんな何度めかの一つのいつもする旅先を今度は昔の暮らしていたこの町に行こうかしらと禎一は思ったのである。

今回の角界騒動について

いやいや中々の番狂わせの連続で力のある場外相撲連番見せていただいて楽しめた。今のところ貴側が劣勢のようである。この底辺には、あの一言「もうアイツらの時代ではない」があるような気がする。人柄は双方どうとも角力にしても勢いにしても、部屋の体制にしても一種下剋上的な要素がある。同じモンゴルでも古参や役では頭が上がらない若い群れがあったんだろ。不遜な態度もあったかもしれない。年齢の限界論もあっただろう。同じこうみると国籍で守ろう(日本の伝統?)としても部屋割りの制約がある。上には行けないものがある。横綱はいつか落ちるけどでもそれはこれまでの日本流の美学で去れるという保証はなんにもない。そこには日本流は通じない。横綱辞めたら親方になったひといるのだろうか?なんかこれはボクシングかなにかみたいなことなんだ。そういう殺風景さがあったんだ。と思う。そしたら土俵の内だろうと外だろうと、なんかの力学が働く、案外モンゴル横綱連中は一致してモンゴル人力士の地位向上を働きかけてたかもしれない。その一致感に🈂を刺すような言動は聞きずてならなかったのかもしれない。どういうことだ貴!俺の話のと中で携帯なんか出やがってと怒り心頭になるのも普通の場合とは違ってたのだろう。同じ同国がファーストじゃないのか!部屋に縛られるよりさ!というキモチガ叩いた方にあったんだろ。それにヤブ診断書が絡んで、わちゃなことになった。ソコを巧みに貴乃花はつこうとして、動いた。彼のなかに「今やアイツらの時代じゃない」との気分がみなぎってたのはいうまでもない。そもそもなんでみんな弟子は貴がつくんじゃい、のチャチャはこの際控えよう。彼にしても改革派といわれる、報道によると伊勢ヶ浜親方にうら義られた遺恨が働いたとされてるが、マインド的にはSAKUを弄しても改革という美旗があったんだろ。策一本ではないはずだ。すべてはアイツらの時代は終わったという空気感だったと思う。で安倍政権もやつらの時代は終わったという空気、多分警戒してる。いやいや日本中でこの言葉の蔓延を警戒してると思うよ☀

少年時代の絶望感

今思い返せばというかそれよりも今突然感じたこの軽いだめだ絶望だ、という気持ち、これは幼いときに味あわった絶望感だなーということで、あの時の絶望感というのはとっても軽かった気がする。何かまたやれるさ、というのが裏側に付いていた。それはどういうことか思い返すと、やり直せれるということなんだけど、なんでやり直せると思ったかというと、運命とか事実というものが持続し続けるものでなく、変化しかねない、誰かが現れたり(多分それは親の場合が多いんだろうけど、助けるまで行かなくても子供だから救いに来てくれたり、そんな自分以外の存在への期待感があって、厚かましくも、それが実現したりしてくれるから、自分は不思議な力を持ってると錯覚できたのだろう。

毎月にじゅうくにちは

日本人だけでないのかもしれないけど月の中で数字の日付にあわせて当日を○○の日とか呼んでいる。6日だって06の日にして、オムライスの日とか呼んでるの見かけた。勿論29日は肉の日です。こうみると食品関連多いのかもしれない。一月のうち少なくとも1日位思い出してほしいのかもしれない。でもこの29日の29は昔も今もにじゅうくにちなのであって、にじゅうくは日本人に特別の意味がある。いやあったに最早変わったかもしれない。

先日、ここの小劇場zooで井上ひさしの父と暮らせばやっていた。一時間半ほどの二人だけの舞台、原爆で死んだ父さんが生き残った原爆症未発生の娘の不安な気持ちを察して幽霊的に甦り会話し励まし助ける。この励ましの言葉は小劇場全体に伝わってきた。でも娘役は吉永小百合だってできるけど、父さん役は橋爪功なんかでは無理だ。これは幽MOREなんかではないもんでひねってある。そのなかで原爆落としたのはBなんとかで29…とは違っていた。

29日をB29の日、国民皆で空襲を思い出す日にしようなんて試みるいしは日本人には昔からないんだろう。毎月にじゅうくにちは肉食ってろ‼

あるそよ風少女の話

夕暮れにぼくはちゃりを走らせていた。信号で止まると女の子と少女の中間のころの人が独りこれから歩いて横断歩道渡ろうとしていた。その人は信号待ちしてる僕を見てこういった。「随分久しぶりですね。よくおじさんのこと見かけたんですよ。気がつかなかったかもしれないけれど。」彼女は横断しようとしたけど、久しぶり僕を見たのでちょっと話してもいいのかな、と足を止めた風だった。その話し方は年齢の割には大人びていた。僕は第一に少女の年齢が気になった。「いくつなの」「18」「そうは見えないけど。」「若くみられるもん」「18だったら話してもいいよね」「どうして」「もう大人だし」「年齢なんて関係なく大人だよ。おじさんとおんなじ」「おんなじかどうかはどうやっても確認できないよね。」

 

機能としての人間ともう少し動物側の人間と

江藤淳幼年時代というのは奥さんが亡くなって生前の江藤の母親の着物から奥さんがこしらえた布地の細工品の話から始まる。ドキドキする良い文章である。江藤淳が結局は特攻隊みたく母性に回帰していく様が如実に現れている。人は男はみな母親に先祖返りしお母さんありがとうございました、と死んでいくと云うけど、それはある意味特殊な状況な人であり、その種の能力があって初めてできることで普通のオトコハそこまで行かない。平凡な死を迎えるもんだと思う。そうした出来のよく育ちが良かった江藤少年のスコシノ問題点というのは恐らく家族の情が深いということだろう。そして男らしさをコレはまた三島由紀夫とは違うとはいえ追い求めたということだ。それなのに彼ら夫婦には子が授からなかった。その生物学的由来は知らないし興味もない。愛情に容積も重量もあるのかは分からんが何かそれには過大なモノト思わせる数値がある。それが江藤さんは大きくて、自分らに子供が居ないばっかりに、弟子や周囲の関係者にトキニハ烈しくトキニハ柔しく与えたんだろう。そういう観察記録も他人が書いていた。子供が授からなかったのは辛いことだったんだろ。でもソレをフウフ愛情で乗り越えた。あんな荷豊富に愛情がある人が、エドウィンフィッシャーのモーツアルト聞いて遠山一行さんが愛情がポタポタ落ちてくるピアノの音と言った、その愛情之ポタポタがせき止められ、トキニハ烈しかったりトキニハ柔しくあったら周囲の人は普通参る。それが分かる江藤さんくらいになると、その人に対する態度は結局自分自身の価値はその与える力と錯覚することになる。そしていやそうじゃないお前はその為に生まれてきたんじゃないと優しく言う人が出てこなければその錯覚は容易に溶けない。動物だから子供ができるんだ。知性を問わず子供が産まれる家があるんだろう。そこの過程で踏み間違えなければ自分が機能だけでないことの生きるは生殖ではないことのなんというか時間の必然みたいなの理解できルノではないかなと思う。人間は諸々の喩えは社会的機能としての存在ではない。機能なんてクソ喰らえだ。アニマルでなくてでもぐうたらも含んだ動物としての側面、機能を問うから自分を処することになる野ヲ回避しうる側面があることを、やはり宗教と謂うのは教えてくれるんだろしそこに到達出来なければ今までの自分がなくなる、決して他人を機能として眺める良くないし、自分でそう思うのもよくない。脳梗塞だろうと肝臓がんだろうと、どうなろうと人間さまは機能で測られるものではないと江藤もいうべきでなかっかと思った。

国家と国民の男性性と女性性について

イザベラバードの朝鮮紀行をかじると十九世紀末の事情ではあるにしても朝鮮の未来を暗示してるところがある。そのターニングポイントが日清戦争のころではないかなと推測させる。どんなターニングになったと言うと朝鮮からみた宗主国の中国が敗れ去るところ、日本が浮かび上がって来るわけだけど決してそれは日本を認めるということにはならない。敗れてもまだ中国に従っていたいという国家意思、国民性があるというところである。青春小説風に言うと、お前あんな弱い奴と付き合わないでさ、強い俺と付き合えよ!と言っても、い~えわたしは中国君好きなの!とリフされる時である。そんなにお前中国君すきなのか、俺だって良いところあるぞ、と強引にシソ改正したってダメなのである。強姦的に併合なんてしたってかえって嫌われるだけであるぞ。そんな朝鮮という国家(仮にあるとしたら)は又その国民性というのはすこぶる女性的なのじゃないかと思った。昔好きだった人は一生忘れられない人たちなのである。全面的にこう考えると幾つかの事が裏付けられる。約束ごとを簡単に破る、慰安婦などの被害届が徴用工より先に来るし説得力あると思ってる、中国からなんかお前なんか要らないよと言われると急に寂しくなってなびく、こういう男性国家の戦争しあった男子国家の日本と中国の狭間にキーセン的伎芸の国として極めて現在では希な女性的国として北朝鮮と韓国はあるのだ。これまでの北朝鮮のホラを含めた脅しの文句すらあれは女断末魔の叫びのように聞こえてくる。耳のせいかな🍀