香港では謝ってはいけない、いや中国人にはかな~

キャセイの機内誌見てたら香港で一番美味しい酢豚のお店紹介されてた。大抵大したことないけど暇だからそこ行った。PANGsキッチンとかいうハッピーバレーの競馬場の側。行くとミシュラン1つ星だった。値段も少し高い。味はまぁこんなかな~これくらいなら日本にも沢山あるかな~classだった。お腹に余裕があったので近くの割りと混んでる小食屋でイカボール麺を食べた。お持ち帰りパーコーも頼んで合計で87香港ドルだった。そこ行く前両替一万円しそれの697ドル(百ドル札6枚)持っていて酢豚に現金しか駄目というから百ドル札払い、そのお店でも107ドル支払いお釣20ドル札もらった。外に出てお店の写真も撮ってあげて暫く歩くと左手に何か気になるもの握ってる。見ると百ドル札だった。故意ではないよ。(故意でやってたら自分の才能に惚れる。)向かうの人も受け取ったと思ってお釣返してきたのに、それをこっちも当たり前と受け取ったのに⁉その後写真撮影してたりしてたのに、払った直後も店出た時点でも写真撮っている時点でも誰も払い忘れてるらしいこと気がつかないでいる。ひょっとしたらオレ二百ドル持ってて百払ったんでないかな~と思ったりして財布見りゃいいのに~それ結構後で見ると5枚ある。色々忙しくてホテル戻って色々考えて夕食時間帯払いに行こうと思った。返しに行こうと思った訳ではない。わざわざである‼日本人としてあるべき姿だろ~と‼永遠の「百」ですよ‼ 行くとおやじっぽいのがいて、片言英語で会話した。なんか事情説明聞いていて向こうはクレームをつけに来てる客と最初思ってる風だった。実際私の説明も長かった。長くなったのはこういう経過で間違ったというイイワケとお宅もさぞお困りでしょう百足りないと大騒ぎでしょう確かめ感のためだった気がする。

しかるに、相手の対応はあっそう、もう全部払ったのそれとも又百払うの?という感じだった。こちらが期待してた、よく払いに来てくれました、待ってたのですよ、名前も知らない人だからもう諦めてました、これお土産です、という感じではなかった。かくして日香の和解は成立しなかった。

(教訓1)中国人が間違っててもそれを指摘する格好はしないでそっと放置している方が~本件の場合には払いに行かない方が~良いこともある。

香港はいつになったら中国のものになるのか

今回、それほど時間をおかず香港に来たのは返還前の香港と最近来たときの香港とは微妙に違う、というか少し良くなって来てるのじゃないの、一体なぜという気持ちを持ったからで、なんか香港は返還されたことによって初めて香港のアイデンティティーを自ら感じ始めたのじゃないのかしらと思う気持ちも沸いてくる。その原因はおそらく英国的考え方とやはり英国のあり方と同じ人種の雑居性じゃないかと思う。案外百年支配というのは民族の骨格性も変えたのじゃないだろうか。だからといって中国が手をこまねいて見てる訳ではない。他のエリアに侵略し併合しているチベットカシュガルやああいう地方と同じように漢人を送り込み民族性を薄めて漢として統一してしまうのだろう。そう願ってるだろう。確かにほぼおんなじ民族なのだろう。しかし香港にはイスラムもいればインドもいる。また欧米人や日本人だって韓国人だっている。これらを簡単には排除できない、排除してさぁこれからは漢民族統一国家とは簡単に行かない。まぁ香港人の特徴は多国籍人との共有心というかそういう他人を巻き込んだ自治権なんだと思う。いわばアメリカのニューヨークみたいなことを夢見てるのが今の香港人だと思うけどね。

素朴すぎる千歳国際線ラウンジ

 

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このラウンジはカードラウンジと入り口共有で中セパレートしてた。カード側は食い物ないのかもしれない。

香港成都旅行にあたって

Google使えないからはてなでかわすね☺日常雑記多くなります。環境も変わります。昔大嫌いだった香港をさ中国返還になってからの民主化挫折みたいなことでなく、一度自由を味わった人間がそう易々とくみし抱かれるかどうか、人間強いかな弱いかなの視点で特攻記するね☺

小川榮太郎の特攻隊賛美 否

やはりついてけない。賛美でないというが心酔している。そういう人が過去にカタクするのは卑怯な感じが濃厚にするのだ。だったらお前は出来るかと言われると俺にはできない。小川榮太郎にもできそうにないことだ。それだから俺とおんなじだろうと思う。で来ない人が他のできた人を評価するのを賛美というのだろ。そしてそれはずるいことだ。自分の居場所があった人の立場の人を利用して自分の居場所を得ようとしている。それは困ったことだ。嫌なことだ。出来ないのにできた人に片寄して自分は違うのだと言うべきではない。できない奴はできない奴なりに敗北かん味わえばいい。敵わない、こういう人を見習って今の現実に私はこう戦ってますと自分の歴史を語るべきだ。特攻隊の人の遺書にも決して賛美するなと書いてある。そして日本はそれでも負けるだろう、国民は奴隷のようになるだろう、その時は残された国民は団結して国の復興にあたって欲しいと書いてある。特攻隊員に報いるには自分は自分なりにどうやってきたか、如何に復興の為に働いたのか戦ったのかの報告が弔いだろう。それが特攻隊の方々に報いる唯一の方法だ。だらだら誉めそやす文など上梓すべきでない。特攻隊のことで評論家面されるのは彼らにとっても溜まったものであるまい。えいれい達きっと怒こってる(😒💢💢)❗俺はブックオフで200円だから買った。定価に近かったらこんな本絶対に買わない。

ヘイトスピーチとネガティブスピーキング1

今の段階で日本の主権を侵害する北朝鮮の暴挙?に対抗して朝鮮総連系の住民は日本から出ていけ❗と訴えるデモンストレーション行為を行うことはヘイトスピーチに該当するのだろうかネガティブスピーキングに留まるのだろうか。更にエスカレートしISに習ってそういう人たちを人間の盾として東京の一角や原発基地に張り付けするのは(まぁそれでも勿論撃ってくるけど、そういう行為は国際法上は禁止されるのだろうが、4つの島を海底に沈めると豪語する金委員長にたいする政治的なアッピールとしてとり得ない手段としてヘイトスピーチのように禁じられるものなのだろうか。要は民族間の問題を国家緊急時にはどれ程考慮するのが真の国家存亡その時の価値体系、政治秩序のなかで認め得るのかということで、理念を通して国が滅ぶのを座して待っていて良いのか、という熱い意見もあろうかというところで、これを少し検討したい。

文豪の晩年

やはり息子さんとして福田恆存の晩年をこういう形で記すことは賛成しえない。恐らくは今のエピゴーネン保守への面当てなんだろうとも思うが。これがしかもさほどの個人的な慨嘆なくして記されたことはやはりありうべきでないだろ。文豪は三島さんにしても江藤淳にしても福田恆存にしても野坂さんも武田泰淳さんにしてもその晩年は悲惨である。比較的ましなのが中村光夫であり吉本であり小林秀雄なんだろか。どこかに書いたけど才能というものはそれを所有するものにとり生きてく際の逃げ道というものでしかないとこある。晩年にその逃げ道を失うような今回のような脳梗塞とかそういう予期しなかった事態が発生すればもう彼にとって逃げ道はない。その意味でその悲惨さを記すべきでなかったのではと思う。