犬のモウショ12

僕がそれまでの妹のことをどれだけ考え思っていたかは相当なものがあったと今でも思う。しかし妹がその時何を考えてたかを深く理解してたかというとそれはあやしい。妹が何かを苦しみ何を思ってたいたかそして何に克服しようとしてたかを自分は気付くことが少なかった。今になって少し言えることは多分妹はママについて悩んでたのだろうと思う。それも手の不具合のことばかりではなく、いわば巡り合わせみたいなことだったのではないかと思う。ママの代わりにわずらいを一身に引き受ける自分の立場とかを無意識に考え、そういう存在にはなりたくないという葛藤だったんじゃないだろうか。両親から背負わされた人生と自分一人で生きてかなきゃならない人生、その重ねあわせを僕も妹も生きていた。そしてその頃になり僕らは一歩前にいかなくてはならなくなっていたのだろ。その動機はモウショの存在だった。モウショが来て二年、モウショも随分大きくなった。僕らは心のなかでその成長を熱烈に待っていたのではなかったか。あとは妹が決めた何かをやる日だけだった。それは猛暑の夏に入り程なくやって来た。赤い三日月の出た夕方だった。僕ら三人は妹が発案する形で丘の上の廃墟の方に向かっていった。 僕には半分軽いノリもあったけど、残り半分は不安で不安で心の余裕は全くなかった。   

 

(この節は後日大幅に書き改められる可能性があります。また本編は16の本当のエンドで終わる予定です。)

犬のモウショ11

モウショがうちに来てそれから二年目の夏の始まりがきた。その年も二年前と同じく暑くなりそうな夏の到来だった。町には噂が流れていた。あの黒人の水兵が戻ってきているのだという噂が広がっていておばあちゃんとママとの間でもその話が出た。おばあちゃんの話では以前その水夫か水兵が一度お店にお菓子を買いに来たことがありおばあちゃんはその時応対した。その時はその人物はおとなしくて普通にお菓子を買っていったそうだ。そしておばあちゃんが確認したところではアフリカのフランスが支配していたなんとかいう地域の出身でお店の中にあるフランス菓子につけたフランス語の単語を巧みに発音したということだった。でもその水夫は何かの原因で船をおり、元のあの坂の上にある前すんでいた家で寝泊まりをしはじめたらしく、それで具体的に何ということはないが人たちの心配は何か厄介なことにならなけりゃいいのにという関心に注がれていた。ママにも僕らは注意されていた。おばあちゃんもその後のことを知っていたのできっと何か起こすと言っていた。

犬のモウショ10

今までの話を少し補うと、チベットの仏説話ではそうした運命附けられた双子転成が何らかの理由でどちらかしか輪廻出来なかったとき、その失われた一方は程なくまた転成するのだということ、そういう教えだった。それとママが妹たちを妊娠したときママは肘を付け空に向けまるで自転車を漕ぐように肘を付け腰に手をあて幾度も足を廻す動きをしたとのことだ。これはパパから聞いた。そして僕が一番関心を持った話はおばあちゃんの言う糸や布切れやその色ではなく妹の手の不具は精神的なものがその順調な生育を妨げているだけで、いつか何らかの原因でそれが克服されたならきっと良くなる、そういう類いのもので、だから今は無理して手術などしないことになったという話だった。一体いつそんな風に進むのかは神様いや仏様しか知らないことなのかもしれなかったのだけど…

犬のモウショ9

おばあちゃんから聞いた話は奇妙な話だった。おばあちゃんはそれを妹出産の際の産婦人科医のそのお父さんから聞いたらしい。その病院はお菓子やさんの社員の定期検診する個人だけど大きな総合病院だった。その話によれば妹は最初から手が不具ではなかった。妹はその小さな手のなかに赤い布を握り生まれてきた。それは本当に小さな小片だった。弟も青い小片を握っていたらしい。でも弟が生まれ亡くなる時に弟の手は閉じられた。そして弟が亡くなると同時に妹の手も閉じたられた。そんな話をおばあちゃんは僕に例の話し方でしてくれた。

ここで最近覚えたチベットの仏の教えにまつわる説話を紹介すると、そのなかに輪廻転生を信じるその教えのなかに双子で生まれるてくるその二人には結び付きを明らかにする何かの兆標が体の外部や内部に付けられており、外部の場合糸や布が目印となることもあるようなことが書かれている。外部になるのは珍しく、内部の兆標は以前の恋人同士だという考え方もあるのだと言われてもいるらしい。

僕がその話を聞いて気になったのはそういえばモウショが拾われて我が家にやって来たときモウショの首には青い布地の首輪がつけられていたことだった。ママは急いでそれを取り外し普通の皮の首輪に変えたけれど、僕には青い首輪もモウショには似合ってたし、ママがそんなに急いで外す必要もないのにと思った記憶も少しあった。しかしこのおばあちゃんの話はなんとなく心の中には入ってこなかった。そしていずれ忘れられた。おばあちゃんの一言一言はそれなりに重みを持っていたはずなのに。

犬のモウショ8

僕のそんなおばあちゃんの思い出はそのおばあちゃんの僕への話し方に尽きる。おばあちゃんは僕に何か話をするときほとんどの場合僕の両腕のどちらかの肘を掴まえて顔を近づけてきて話かけるのが常だった。そんなときの話はママの話だったりパパの話だったり僕の知っておかなければならない話なんだよという話なことが多かった。いや多分それは腕を掴まれ顔つきも分かって話をされるので自ずと大事なことなんだよと自分でそう思ってしまってたのかもしれない。今から思えばそういう話って深刻な話だけどおばあちゃんが話すると少し和らいで聞こえ、反対に大したことでなかったのおばあちゃんの話で深い意味があるかのように思ってしまったことがあったような気がする。そんな話の中に妹の出生の際の話もおばあちゃんから肘を掴まれて聞いたように思う。

犬のモウショ7

ここでぼくらのおばあちゃん、ママのママについて触れておこう。僕にとっておばあちゃんは中々の手強い人という印象がある。ママがパパと結婚する前ママに好きな人がいてママは駆け落ちまでして自分の恋路を貫こうとしたらしい。ママのパパはその当時お菓子やさんを息子のおじさんに継がせたいと思ってたけどそのおじさんがこんなお菓子や継ぐのは嫌だと言ったので娘であるママに婿さんを取って継がせようとしたらしい。でもママは自分の恋路の間最中でそんなこと聞く耳もたなかった。そしておばあちゃんの見立てではママの付き合ってる人は商売にはおじさん以上に相応しくなくそれで、その恋路に割って入ったとのことである。具体的にどんなことしたかは詳細はしらない。この話はある時パパからきいた。そのあとおじさんが心入れ換えたのでママの婿さん話はフリーになったとも。それがママにとっては心の傷だったんだろ。部外者であるのはパパそしてある意味僕らかもしれない。僕らが生まれる前からおばあちゃんが凄いのはなんとなくそれが大きくなってからでも感じたことだ。やはりおばあちゃんは相当な人だった。

中国メンの疑

西寧にまで来ると中国本土とは違いますね。陸続きでも違います。安心して食べられるのは麺ってとこかな~
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一人気を吐いておる。
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でもやはり別麺に食指が動く✨
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