クレタ食


f:id:eanas52:20180219145412j:image魚スープはおいしい
f:id:eanas52:20180219145446j:imageキノコ🍄リゾットやパスタはチーズたっぷり
f:id:eanas52:20180219145554j:imageこのステーキ(チョップ?)の ソースはワインと

蜂蜜とか言ってた

大体イタリアに後年支配されてたからイタリア風が多い。
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下はジェノベーゼリゾットにイカフリットが乗っかりーノの平皿丼?

 

よく見るとあんまりいいもの食べてないぞ‼

シーフードも地物は魚だけだったし✨

大体がカフェ系で外までの椅子席多く、こんもりと店なかだけというのがレストラン。

 

あれ、これってあれ旅行記3

クレタ最後の日も近づき、見納めで(もう二度は来ないと思う)イラクリオンの考古学博物館に来ました。クノッソス、フェストス、そして行けなかったハギア・トリアダの遺跡からの逸品が揃ってます。(この三つはワンセットで瀬川三郎師のギリシャに出てきます)総一覧できます。これらのものがあるから遺跡は素晴らしい遺跡なんですね。行っても廃墟でしかないんだけど。見終わりの場所付近にはクレタ島の影響のある芸術諸作品が貼り出され、シュトラウスナクソスアリアドネの隣り、モーツァルトイドメネオ出てました。あっそうか!イドメネオ何とかクレタとかいったな、と思い出しました。後で調べるとクレタ王?、トロイア戦争の頃?とか分かってきます。それからがややこしい。トロイア戦争ってミケーネ文明ですよね。そしてクレタはミノア文明、同じミ始まりだけど、後からの好戦的ミケーネ人に平和なミノア文明は破壊された⁉そこにトロイア戦争時代のクレタが絡む。あれれ、イラクリオンの複雑な小径、どこに出るのか分からない小径そこに迷い込みます。まぁ帰って、あんまり好きでもないイドメネオ聞くとしますか。

老クレタ廃墟記

今日はフェストスを回った。昨日クノッソスの後にエラクリオンに戻り午後行こうとしたがバスの時間に無理があった。早朝から出掛ける。途中ミレースで乗り換え9時のフェストス行きに乗る。僅かにして着く。着くと客は私だけだった。中を自由に見回る。殆ど瀬川三郎先生の回った順で。彼は昭和8年に訪れている。その旅行記ギリシャ昭和18年に出されてる。写真があるがそれは今から80年以上も前のクレタのこの地方の様子ということになる。本の中での地域の人との交流、その様子や風俗はその当時のものとなるが、それは相当に素朴である。至淳に近いものがある。翻ってではその頃昭和10年ころとは一体何だったのか。その当時のクレタ島ではない日本の様子や風俗や人心はどんなのだったのか。昭和10年の日本という時、それは今の日本人にとって何なんだろ、単なる軍備拡張に明け暮れてた時代だったのだろうかとそういう疑問がわく。今のクレタの人の心より勝ると感ぜられる当時のクレタのフェストス近郊の人々、それに似て、当時の日本人も案外素朴で純情で確かなしっかりとした人間らしいものであったのかもしれない。そしてそれはいまにしてみれば何か、四千年前に比し、それは80年前の精神の廃墟なのだろうか、今とは全く関係ないものとなったのか。

しかしながらやはりフェストス遺跡は全盛期から四千年もたち、とんでもない長い時間の経過はやはり見る視覚を失い、ルインはルインでしかないことを指し示している。唯一の救いは、そこにその時訪れた日本人がいたということで、その記録が奇跡的に美しい文章で残されているということだけである。それは私にも感動させる自分では開けられないその人を通じてしか理解できない歴史の鍵なのだと思う。それは追体験ではない。それは例えてみれば瀬川三郎先生というレコードを回転させ奏でさせその当時のメロディーを聞きつつ遺跡を味わう類いだ。少したち旅行団がやって来た。欧米人の高い関心は分かる(ここはイタリアが発掘した)、がそこには重要な鍵が欠けている。他の日本人が感じたことを、後世の日本人である私が感じること、その繋がりがなければ廃墟は単なる廃墟でしかないように思った。

土産を買い帰路につく。監視人?が日本人の技術とか何かを喋って誉めそやく。幸い、見終わった帰り道、バスがないのに通りかかったタクシーでミレ―スにまで早くに戻れた。タクシーの出現は神か或いは著者のオンチョウか。ミレースの町では路上に生活市場が立ちそれが延々と続いていた。エラクリオンまでの帰り路も本に出てくるような人はいないながら(変なおやじが携帯渡してみみたいな仕草取っていた)風景などは明るく晴れ渡り、気分は中中爽快だった。或いは瀬川三郎先生と同じものを所々観たのかもしれない。

あれ、これはあれか旅行記2

クレタのホテルに着くと先客が受付の男性と話していました。聞いていると受付の人はネイネイと相づちを打っています。終わって私のチェックイン、ネイってイエスの意味ですかと聞くとそうだとの答え。

それで昔、Nから始まる言葉というのはノーとかナインとか、否定辞が大抵でその種の言語が多い、だけど世界には例外があって三つの言葉が違ってる、と書かれた本読んだ記憶が甦って来ました。一つはハングル、ネイは誰もがしるはいそうだという意味。二番目も覚えてて佐賀弁、言語じゃなくて方言だけど、それゆえに印象的。佐賀弁でははいは「な~い」なのです。佐賀のおじいちゃんが店番してて他県のお客さんが来て○○有りますか?と聞いたら、あるのに「な~い」と答えたんでお客さん帰っちゃった。それで覚えてたし、それが頭に、強烈だから、三番目忘れてました。それがギリシャ語だったんですね。多分そう。

 

考えてみるとハングルとかギリシャ語って韓国人とギリシャ人しか使わない謂わば閉鎖された言語、日本語も同じようなものですよね。全然輸出できなかった言葉。そんな体系だからかなぁ?いや、キリスト教圏ではイエスは常に肯定されるから反対のノー系は必ずN始まりに固定されるとか?そうするとギリシャ語が一番特異なのかしら。分かりませんけど欠けてたリング見つけました。

あれ、これってあれ旅行記1

ギリシャに来ている。前回はデフォルトとか騒がれた二年半ほど前。相変わらず大柄で堂々の挙粗動作の彼らは古代ギリシャと何ら変わらない。神話を信ぜずギリシャ正教になってるだけ。でも昼も夜も歩いていて感じてくるある種の物騒さは彼ら体内から発する何かであり、時としてそれは束縛なき自由の民化すると、危険性ますのではないのかしらと思わすところある。まぁ益々の現代ギリシャ人の発展願うばかりだが、今回は前回であらカタ、アテネ市内見たので、ツアーでペロポネソス半島周りに出かけた。コリントス・ミケーネ・ナウプリオンエピダウロスという定番コース。英語解説が一パー位しか分からなかった。地球の歩き方大いに参考にした。そして前回も使った瀬川三郎先生の「ギリシャ」。これは戦前の紀行文だけどギリシャ愛に満ちているところがとても純粋、ピュア感齎す。文章もいい。誠実な人というのは一心に囚われた人だろうが、まさに彼はそういう人とお見受けし尊敬している。もっと読まれりゃいいのに。さて最初のコリントスは旧市内には行かず運河だけ、其処の近くの売店であれ?を見つけた。PAURとか表紙書かれてた冊子。あっそうか、ここがコリントびとへの手紙だがなんだか新約聖書に入れられてるパウロの書簡のその当の土地柄の所か。寺院があってそこには千の売春のお方が居られたという腐敗都市だったコリントか!運河なんて見てる暇ねぇよ、何だけど、異教徒の嘆息虚しく、イギリス人とかイタリア人とか(一部中国もいたけど、乗っけたバスは、ここ周辺をさしたる重要ポイントとは評価することなく、ミケーネに素早く向かっていった。まぁシュリーマンには負けるけどね。

島倉千代子のからたちの小径

死の何日か前の吹込みのこのからたちの小径は、絶唱というより息き絶え唱なのである。声は全く出ていない。歌詞の何箇所かには反応できてない。分かるとこだけが気持ち込められてる。それでも島倉はこの録音を残そうとしたのである。それは本人側でどう思おうと歌手としての行き着く過程の果までの全ドラマを歌って死のうとする強固な意思の現れだったのである。そういう総決算の心を持っているからこそ真の心の芸術家なのである。そして総決算のこころを持っていれば死などは怖くないのである。それが分かってる島倉千代子のこの歌振りにはそれ故感動しかないのである。涙がぽろりぽろぽろりなのである。

野火、詩詞の花の下2

近松が指定してきたそこで幹事会予定だったその名前のビルは予想通り共産党の労働者支援事務所が入居している建物だった。高校卒業以来初めて会った同級の眞下はそのセンターの代表格になっていた。以前はバスケ部にいた彼は敏捷なやせ形体型をそのまんまにし、信二との間で近松が来るのをまつあいだとりとめない会話をしてきた。目は踊ってなかった。信二も労働事件の手伝いをしたことがあり、そうした組織の方がある意味労働者には役にたつこともあり、適当に普段の業務、最近の傾向の事件などの話をした。そこに近松が入ってきて遅れたのを誤魔化すように!開口一番「なんかいいアイデア出たか」と聞いてきた。「まだまだ」「なんにも」答えつつ、近松が持ち出した書き込みの紙を眞下と信二とは覗き込んだ。そこにはどこから取ってきたか詞の抜粋が書き込まれていた。「十クラスに各クラス一個の詩、それで朗読バトルする」「詩の格闘技?」大袈裟に眞下が聞いた。「潮先生が審査委員長、僕らもあの頃に戻ってね。相当よれよれだけどね?」近松がおどけた。「そんなんで盛り上がるかね」信二が冷静になって聞いた。「盛り上がり無視!俺はね今読むといいんじゃんと思えるから熱中したね、半日図書館で潰した。あるんだな結構、今にしてわかるというのが」自分の努力が報われよりも、少しばかり遅ればせの勉強が、有益な報酬だったように近松は話した。「検討しますか?」面白さを検証するかのように持ってきた紙片をそれぞれが読み始めた。「案外いいかもね。少なくとも今までの企画にはない」