歯の痛みと戦後賠償

何年前かに歯に詰め物した箇所が痛みだした。その時は何ヵ所か事務の人の勧める都心のビルの歯科診療所で直し、そこは二人の先生だったのだが若い方がついて、とてもとても痛い治療ノ連続でしたから、長引かせ様なところもあったし、途中だったけど、もうそこは出入り禁止、いやデハイリ拒否して行かなくなった。本当に良い歯医者さんというのは少ない。特に田舎はひどい。従兄弟の息子は歯医者をやっているが、彼とはあまり面識がないし、結婚式には出掛けていったが、親である従兄弟が所謂最後の挨拶をトチり、なんかゴルフをやる人に悪い人はいない論を展開しだしたので、其れを遮り結婚当事者なのに、まとめの挨拶をした。相手も美人の歯医者さんだったけど、しかもその実家は横浜かどこかの大がつく歯医者さんファミリーだったけど、結局は子供が出来てから離婚して、従兄弟は今、その孫にも会わせてもらえないと、自分の結婚式での失態を棚上げして嘆いている‼何の話だったけ?

帰還2

北国への赴任は決心の上だったがわだかまりは心の片隅にあった。妻の正子は赴任先を聞いて一瞬怪訝な顔をしたが、すぐに夫の周辺で何かの変化が起きたのだ、それも夫の方で周囲に自分の気持ちを伝えた結果だ、と察し、そうなのと押さえ目な口調でいったあとは黙ってその結論に従った。関西への赴任だとそれを楽しみにしていた二人の子のまだ幼い姉妹に其をいつどう話そうとの懸念はあったが、それを夫が決めてきて今からはその事後処理をしなければならない夫の負担に比べれば当然軽い仕事の役割だと一人納得した。でもあんなに東京なんかより文化があると言っていた夫、その文化のなかで日本史ではないにしても歴史の教官として過ごすことにそれなりの期待と希望を持ってだろう夫が、まぁ北国出身者とはいえ、更に極寒の地に赴任することに何のよろこびを見いだそうとしているのか、さっぱりとした夫の気性をかてて加えてもその心配が☝からの生活先の不安より先立ってあった。禎一は妻の正子の積極的反対がないと安心したかのように、一服煙草に火をつけソファーにどっかりと座った。

北九州人気質?

今回の黒崎方面旅行ではこれはなんか九州人らしくないなという所垣間見た。一発め福岡空港で荷物📦取りのとき、赤い線の内側(約一メートル半ほどあった、)に入らないでと書かれてるの皆守ってる。自分の預けた手荷物が見えたら線の中に入る。そんなルールを厳然と守ってる。二発めはそれに関連するがバス乗車の際もバス停に来た順番を遵守して横入りしないし、並びから外れてても来た順前の人をどうぞお先にとやる。他人の動きをよく見ているのだ。それでいてこれは九州気質というのも見当つくとこある。パチンコ屋スロット店が多いし公営ギャンブル関係のエリアも多数あり、そこにはアイドルもいて当たり前にその種の働かざる文化がある。その中間なんだろうけどJR 九州というのは客席も立派だし車内も豪華な感じお洒落な感じがあって乗車して楽しいという気持ちにさせる。到底JR 北海道の及ぶ所ではない。小倉の町の立派さは相当札幌を引き離している。九州のこのエリアは田舎ではなんもないんだな⁉️歴史のど真ん中でなくなったりしても、例え邪馬台国が近畿であってこの土地でなかったとしても、ここにはそれなりの文化や風土そして自信ある人がいたんだな。流れ着いた土地とは随分違うもんだと思わせた。やれやれであった、

予定のこととは言え

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今日はbicのカレンダー解禁日だった。先日この日と聞いてたので、さっそく行って六七枚せしめた。これは一年一枚で見やすく年中行事化してる。とても嬉しくなり、近くのAPAホテルでランチ。このホテルはなんか変な本置いとりたりしてとかくだけど、このサンレモというなんでもありがとーレストランは充実している。人間悪いとこばかりではないな🍀

帰還一

禎一がこの地を再び来てみようと思ったのは躊躇いの果であった。ある思い、それは多くの場合憂鬱なものであって、それを抱え始めると夢の底に降りていくような、いや引きずられていくような更なる憂鬱を抱える、人は他人も皆そうなのかもしれないがと禎一は思いつつも、自分の今の力ではその問題、その悶々とする課題は解決できないなと思う。それで旅立つ、ということが他の他人の場合と同じく自分の場合もありジッとしていられない、そんな何度めかの一つのいつもする旅先を今度は昔の暮らしていたこの町に行こうかしらと禎一は思ったのである。

今回の角界騒動について

いやいや中々の番狂わせの連続で力のある場外相撲連番見せていただいて楽しめた。今のところ貴側が劣勢のようである。この底辺には、あの一言「もうアイツらの時代ではない」があるような気がする。人柄は双方どうとも角力にしても勢いにしても、部屋の体制にしても一種下剋上的な要素がある。同じモンゴルでも古参や役では頭が上がらない若い群れがあったんだろ。不遜な態度もあったかもしれない。年齢の限界論もあっただろう。同じこうみると国籍で守ろう(日本の伝統?)としても部屋割りの制約がある。上には行けないものがある。横綱はいつか落ちるけどでもそれはこれまでの日本流の美学で去れるという保証はなんにもない。そこには日本流は通じない。横綱辞めたら親方になったひといるのだろうか?なんかこれはボクシングかなにかみたいなことなんだ。そういう殺風景さがあったんだ。と思う。そしたら土俵の内だろうと外だろうと、なんかの力学が働く、案外モンゴル横綱連中は一致してモンゴル人力士の地位向上を働きかけてたかもしれない。その一致感に🈂を刺すような言動は聞きずてならなかったのかもしれない。どういうことだ貴!俺の話のと中で携帯なんか出やがってと怒り心頭になるのも普通の場合とは違ってたのだろう。同じ同国がファーストじゃないのか!部屋に縛られるよりさ!というキモチガ叩いた方にあったんだろ。それにヤブ診断書が絡んで、わちゃなことになった。ソコを巧みに貴乃花はつこうとして、動いた。彼のなかに「今やアイツらの時代じゃない」との気分がみなぎってたのはいうまでもない。そもそもなんでみんな弟子は貴がつくんじゃい、のチャチャはこの際控えよう。彼にしても改革派といわれる、報道によると伊勢ヶ浜親方にうら義られた遺恨が働いたとされてるが、マインド的にはSAKUを弄しても改革という美旗があったんだろ。策一本ではないはずだ。すべてはアイツらの時代は終わったという空気感だったと思う。で安倍政権もやつらの時代は終わったという空気、多分警戒してる。いやいや日本中でこの言葉の蔓延を警戒してると思うよ☀

少年時代の絶望感

今思い返せばというかそれよりも今突然感じたこの軽いだめだ絶望だ、という気持ち、これは幼いときに味あわった絶望感だなーということで、あの時の絶望感というのはとっても軽かった気がする。何かまたやれるさ、というのが裏側に付いていた。それはどういうことか思い返すと、やり直せれるということなんだけど、なんでやり直せると思ったかというと、運命とか事実というものが持続し続けるものでなく、変化しかねない、誰かが現れたり(多分それは親の場合が多いんだろうけど、助けるまで行かなくても子供だから救いに来てくれたり、そんな自分以外の存在への期待感があって、厚かましくも、それが実現したりしてくれるから、自分は不思議な力を持ってると錯覚できたのだろう。