ギリシャ美術についての一つの試論1

ギリシャ旅行したのはちょうど二年前だつただろうか?デルフイにもアテネから出かけていつた。糸杉の道をだらだらとすぎ深い谷の眺められる場所に出るとデルフイの渓谷が見られた。既に地図上の各建物や神殿、ぶきこ等はほとんど崩れ落ちているのだが、それらの中にあった遺物は一ヶ所の美術館に安置されている。その中に兄弟の像がほぼ原型をとどめてある。孝行な兄弟の像とのことであった。どこにでもある説話かもしれないが儒教的でもある。そのせいか顔も所謂アルカイックスマイルを浮かべてるように感ずる。誰もがその像を見いっていた。

犬のモウショ5

僕らが移り住んでんきた北海道の町は坂の多い港街だった。町の中心のまっすぐな太い道を高く登り、振り返ると水平線が低くみえ、散歩に妹やモウショと出かけた時が夕刻だったりすると綺麗な夕陽が岩の間の海を赤く染めてることもあった。そんなとき妹はモウショの動きを気にしながらもじっと海を眺めていた。モウショもそのときはおとなしくしていた。僕の方からもう帰ろうか、ママも心配するし、と言っていつも帰るのだが一度妹がもう少し昇ろうと言って先に歩いていったことがある。

少し登ると小さなあばら家のような家があった。その時モウショが唸るような声を出した。その後もときた道でなく別な通りを通って帰ったのだけど、モウショが自分の声を出してる感じが僕は耳について離れなかった。妹は気にしてなかったようだけど。

魔都ロンドンの真実に迫る❗(笑)3

河上肇から始めますか。河上が近くのロンドンの墓地に行って持った感想というのは日本の墓地との違いからきたことで、それがわたしには前から引っかかつていました。河上は書く、これらの墓地は最近の死者のものか花に飾られ、今しがた訪れてる様子がありありとしているようだと。その墓碑銘もどうこうして死んでいったお前、あのときのあのしぐさ、可愛かったなお前は!✴俺は忘れないよ、みたいな、それはin loving memory of you という定型で始まるるんだけど、そこには死者と生きてるが如く交流を図ろうとする意志があり、その気持ちはほとんど肉体的レベルにまで踏み込んでいる。死者はそこに骸で眠ってるんだろうけど、そんなの石の棺引き剥がしてでも熱い愛が発信されてる感じを、それを河上さんは書いている。肉体的或いは肉感的? あの世というのは英国国教会にもあるのだろうけど、この無意識の作為みたいな、死者への迫りかた、或いは死んでっても向こうからの照り返しみたいな死生感、その書き方に引っかかていたのです。こんな違いを書いたひと他にいるのかしら🎵そしてその気持ちは夫婦にばかりでない。死んだ娘や息子に対しても同じ情熱なのです。逆に英国のお墓は日本の墓地のようなどこそこ一族の墓では決してない。生きたとき知り合いになれた、その知った人が先に死んでったから建てたお墓なんだと書いている。それはある意味英国人の裸の心性なのかもしれないなと思いつつ、この思いかた死者への接し方は案外いい考え方でないかちょっと勇気付与してくれる考え方でないかなと思った。ぶっちゃけ誰にとつても生きてるうちが華、死んでっても知らぬ子孫に葬られてとぶらわれてどうするのさ、みたいなもんですよ言いたいことは。

魔都ロンドンの真実に迫る❗(笑)2イギリスの合理主義と伝統主義の狭間について

なんかロンドンに来ると落ち着くんですよね、これは大都市でも東京とは違うんだな~🎵もっともっと日本人に知らない街だし知らない言葉だし知らない風景なはずなのに、これって要するに人情というやつかしら、知ってる知ってるこの人情、どうしてここにあるんだろ、それってあたしがなんでイギリスはロンドンで感じなきゃいけないの~と昨日来たばっかりなのにそう思ってしまってます。

そういや

1昨日変なおばさんに捕まりました。おばさんわたしがバス停でバス待ってたら大の男大人と二人、かれら両手に荷物を持ってついてきていました。おばさんは二人の男と軽いキスをして別れました。親戚かな~✴️でもそうではないよう。荷物というのは買い物の野菜とかバナナとかでなんか何処かのスーパーかったのを運ばさせたようでしたから。大の男二人に…

犬のモウショ4

妹には弟がいた。僕の弟とも言うべきなのかもしれない。ママが妊娠したときパパは今度僕らは5人家族になるみたいな話をしたことがある。でも出産が近づいて慌しくなったときおばあちゃんからなんかそうではないみたいな話を聞いた。両親が話さないことを祖母が話するのを僕は意外な気持ちになって受け止めた。結局、妹は一人で生まれた。双子だったもう一人の子が男の子だと聞いたのは生まれてからずっとあとのことだった。その子にも手にハンデがあったと聞いたのは更にその後だったように思う。

池田くんマイウェイ1

池田清吉が六十も過ぎ子供らに突然再婚を口にしたとき、みなは正直びっくりした。さらに清吉が嫁にしたいと連れてきた女性を紹介すると子供らは更に驚いた。

「これはお前らのおかんとは違う。わいの嫁だけや」との紹介も可笑しかったが、「心配するな」の言葉にも子供らは戸惑った。

中国人の自然志向2

最近の中国の国民の海外旅行政策の変化で若い男女ペアが日本を訪れる。その行き先は京都や東京など新旧を代表する都市だ。しかし黒部ルートとかも中国人はお気に入りらしい。直接聞いたわけではないから分からないが黒部などはダムの眺めなのかあんなダムがある付近一帯の景観も妙味があるかは分からないがともかく興味は都市ばかりじゃないように思う。景観とっても人工的なものが配備されたエリアなのか人里離れたような景色なのかもこれも聞いたこともないので分からない。去年黄山に登った時、やはり若いカップルがいた。黄山の風観というのは自然の妙味とも言えるけど一種人工的なものも混じっている。だから純粋に自然なものとも言えない。しかもあれは区をなす大きな観光域である。毎日自然に接しているというものではない❗